巻頭企画天馬空を行く
「自分自身の人生を楽しむことも大事だと
思ってから、すべてが好転し始めました」
東京五輪リザーブの悔しさを超えて
デビュー以来、破竹の勢いで躍進してきた太田さんだが、1枠しかなかった東京五輪の代表の座は惜しくも逃し、リザーブメンバーに回った。さらにそのタイミングでコロナ禍が訪れ五輪開催が1年後ろ倒しになったことで、太田さんにとっては“宙ぶらりん”の期間が長引くことになってしまったのだ。そんな難しい時期に、自身の気持ちをどのようにコントロールしていたのだろうか。
「代表になれなかったことはもちろん悔しかったですし、コロナ禍によってリザーブの期間が延びてしまったので、当時はかなり苦しかったですね。東京五輪という大会では、自分はメインの存在ではない。でも、出場の可能性がゼロではない以上、選手としてしっかりトレーニングをして準備をしなければならない。そんな状況で、自分としては恥じない練習をしたつもりでしたが、正直に言えば、やはりどこか身が入らない部分もあったと思います。そんな中でも、やはり支えになったのはチームの存在でした。リザーブだからと邪険に扱われるようなことはまったくなかったですし、むしろ手厚くサポートをしてくれたおかげで、リザーブ期間中もタイムや成績はものすごく伸びたんです。コーチも“次の五輪を目指そう”と寄り添ってくれて―実は私自身は東京五輪で自転車競技に一区切りをつけるつもりでいたのですが、周りに支えてもらったおかげで、少しずつ次のパリ五輪を目指したいという気持ちが強くなっていきました」
つらい時期も前を向いて、できることから1つずつやっていく。そんな自身の経験を伝えるべく、太田さんは母校の中学校や、(公財)JKAのトラックサイクリングキャンプでの講演活動も始めた。そこでの子どもたちの反応も、太田さんにとって大きな力になったという。
「五輪にも出場していない、グランプリの優勝もない、そんな自分が子どもたちに何を伝えれば良いのだろうと最初は悩みました。でも、本気で何かを目指して届かなかったこと、その後に立ち直って頑張っていること、リザーブとしての1年が決して無駄ではなかったことを話すことが、何かの参考になるかもしれないと思って、やってみることにしたんです。パワーポイントを使うのも初めてで、不慣れな感じでしたが(笑)、話しているうちに自然と自分の気持ちも整理できて、私のほうが学ぶことが多いくらいでした。子どもたちの反応も良く、SNSで直接リプライをくれることもあって、こういう風に思ってくれたんだ、伝わってくれたんだと、嬉しくなりましたね」
自分自身と向き合う中で、太田さんは日々の過ごし方についても、少しずつ考え方を変化させていく。それは、今の太田さんのスタイルへとつながる、大きな一歩だった。
「東京五輪までの私は、気負い過ぎていたというか、競技の成績が悪ければ遊んではいけない、笑ってはいけないとさえ思っていました。でも、パリを目指そうと考え始めた頃から、それとこれとは別だ、自分自身の人生を楽しむことも大事だと割り切れるようになって、そこからすべてが好転し始めたんです。オフの日には、好きなメイクをして、いつもとは違う印象のファッションをして、旅行をしたり買い物に出かけたり。今だけは自分はアスリートじゃない、ただのギャルなんだと言い聞かせて(笑)、競技のことは何も考えない時間をつくるようにしました。オンオフの切り替えから活力を得る――今の自分のスタイルは、そこで固まった感じでした」
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