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巻頭企画天馬空を行く

スポーツクライミング選手 緒方 良行

スポーツクライミング選手
緒方 良行

 
1998年、福岡県久留米市出身。10歳の時に初めてクライミングジムへ行き、その後は週に4日通うほど熱中する。選手としても早くから頭角を現し、2014年の高校2年生時に世界ユース選手権に初出場、翌2015年には同大会のボルダー種目で優勝。上半身のフィジカルを武器に力強く壁を登るスタイルを確立し、2019年にはワールドカップ初優勝、2021・2022年は2年連続でワールドカップ年間優勝を達成する。パリ五輪の日本代表の座を懸けた2023年のアジア大陸予選では、ボルダー種目で4位となり惜しくも出場権を逃したが、2028年のロサンゼルス五輪を視野に入れつつ、選手としてさらなる飛躍を目指し奮闘中。また、地元である久留米市で「くるめふるさと大使」を務めたり、子どもたちに向けたクライミング教室を開催したりと、競技以外のフィールドでも精力的に活動している。

 
 

2015年の世界ユース選手権で優勝、2019年にワールドカップ初優勝、2021・2022年にはワールドカップ年間優勝。スポーツクライミングのボルダー種目において、常に世界のトップを走り続けてきた緒方良行氏。しかし、大目標に掲げていた2024年のパリ五輪の出場権をあと一歩のところで逃し、自身の競技人生を見つめ直す機会が訪れた。思索の末にたどり着いたのは、「クライミングが好き」という純粋な気持ちと、「苦しい時こそ、そのものの真価がわかる」という境地。逆境を乗り越え、次なる一歩を踏み出した稀代のクライマーが今、見据えるものは何か――明晰に語られる言葉の真意に迫るインタビュー。

 

偶然の出合い、すぐに熱中

目の前にそそり立つ壁と、形も大きさもさまざまな突起――与えられたわずかな時間でルートを考え、完登を目指して身一つで登っていくスリリングな競技、「スポーツクライミング」。2021年の東京五輪の種目に採用されることが決まってから徐々に認知度が高まり、世界の舞台で活躍する日本人選手も増えてきた。その中でも、制限時間内に複数の課題の完登を目指す「ボルダー」という種目において世界トップクラスの実力を誇っているのが、緒方良行氏だ。スポーツクライミングを始めたのは10歳の時。出合いは偶然だったが、いざ始めるとその魅力にあっという間に取りつかれてしまったそうだ。

「当時、ちょうどテレビでスポーツクライミングが紹介され始めた頃で、ちょうど家から車で10分くらいのところにクライミングジムがあったので、両親に頼んで連れて行ってもらったんです。するとあまりにも楽しくて――気が付くと週4日も通うようになっていました」

 少年時代の緒方氏は、決して運動が得意なわけではなく、本人曰く一番続いた習い事は「料理教室」だったという。そんな同氏が、スポーツクライミングのどこに魅力を感じたのだろうか。

「僕は球技とか水泳とかができなくて、運動はどちらかというと苦手だと思っていました。木登りや雲梯は好きでしたが、それらは誰かに披露したり評価してもらったりする機会はないですよね。でも、クライミングジムへ行くと、大人のクライマーたちが『すごいね、センスあるね』と褒めてくれて。たぶん、それが原体験となって、スポーツクライミングに熱中することができたんだと思います。クライミングのコースには難易度(級・段)が設定されていて、1つずつステージをクリアしていく感覚がすごく楽しいんです。また、ジムのオーナーがコーチングもできる方で、登り方を丁寧に教えてもらえたことも、自然と続けられた大きな要因でした」

世界を知り決めた覚悟

中学生になってからも、部活動と同じ感覚でスポーツクライミングに打ち込んでいた緒方氏。同時に勉学にも励み、高校は福岡県内屈指の進学校である福岡県立明善高等学校に入学した。まさしく文武両道の生活を送りながら、自身のキャリアについてはどのようなビジョンを思い描いていたのだろうか。

「中学時代は、スポーツクライミングの選手として生きていけるのかとか、どのくらい稼げるのかとか、具体的な部分がまだぼんやりしていて、この道一本でやっていくという気持ちは抱いていませんでした。一方、勉強は社会に出た後も役に立つし、やっておいて損はないだろうと思って頑張れたんです」

そんな緒方氏の心を大きく動かしたのが、2014年、高校2年生の時に参戦した世界ユース選手権だった。当時、すでに国内では同世代のトップとして活躍していた同氏だったが、初めて国際舞台に立ち、周囲の選手たちのレベルの高さに驚いたという。

「競技に臨む前のウォーミングアップの段階で、自分より実力がある選手が山ほどいることがすぐにわかりました。クライミングのスタイルも、日本人選手と海外の選手では全然違って、世界は広いな、と思ったことを今でも覚えています。実際、成績も良くなかったのですが、僕にとっては逆にそれがモチベーションになったというか、競技に対する視野が広がって、来年はもっと強くなれるぞ、とワクワクしたんです」

「世界ユース選手権で優勝したことで、
同世代で自分が一番だという自信が生まれた」

 
 その言葉通り、緒方氏は実感した世界とのギャップを競技への探求心、あるいは練習への推進力へ変えて急速に成長し、翌年の世界ユース選手権ではボルダー種目で見事に優勝。同氏にとってそれは、クライミング選手として生きていく覚悟が決まった瞬間でもあった。

「世界ユース選手権で優勝したことで、今の世代では一番なんだという明確な自信が生まれました。また、そこから数ヶ月後のアジアユース選手権では、年齢が上のカテゴリの選手より良い成績を残せて、さらに上を目指したい気持ちが強くなったんです。ちょうど、高校の同級生たちは進学する大学を決めるタイミングだったので、僕もクライミング選手になる決心をして、競技と勉学を両立できる神奈川大学に進学することにしました」

 

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