巻頭企画天馬空を行く
「トップ選手になるほど、いろんな選手の
良いところをまねして、弱点を消すんです」
強靭なフィジカルを武器に課題を攻略
クライミング選手はそれぞれ、得意な登り方やスタイルを持っている。その中で緒方氏は上半身のフィジカルの強さに絶対の自信を持っており、難しい課題もパワフルに攻略することができる。そんな自身のスタイルについて、思いを語ってもらった。
「スポーツクライミングは頭を含め全身を使う競技だと言われていますが、僕はテクニックを駆使して登るよりは、上半身――主に背中の力を使いながら、課題と真っ向勝負するのが好きなんです。最初に通っていたジムのオーナーが、ヨーロッパのトレーニングメニューを勉強されていて、僕は小学生の頃からそれに取り組んでいたので、そこでフィジカルで戦える能力が培われていったのかな、と。実際に勝つことができた大会を振り返っても、フィジカルの強さが勝因だったなと思うことが多いですし、今は明確な自分の武器として認識しています」
緒方氏の強靭なフィジカルが生かされるのは、壁を登っている最中だけではない。壁を目の前にして、ルートのプランを練っている時にも、自身の強みがアドバンテージになっていると同氏は語る。
「ほとんどの大会で、課題の内容は当日までわかりません。選手たちは、コースが発表されてからわずか数分で、どんなルートで登るのかプランを考えなければならないんです。しかも、競技中にうまくいかないと思った時に切り替えられるよう、セカンドプラン・サードプランも用意する必要がある。例えばその時、テクニックを使って登るほうが簡単そうなコースだったとしても、僕は自分の強みであるフィジカルを生かして登るルートを選択肢として残しておけます。そんな風に柔軟に立ち回れることが、競技中の精神の安定にもつながると思っています」
コンディショニングの秘訣は「楽観」
スポーツクライミングは、ワールドカップをはじめ4~10月に国際大会が集中しており、選手たちは約半年間にわたって世界各国を転戦することになる。長い期間、パフォーマンスを安定させるにはメンタルコントロールも重要になるが、緒方氏はどのように普段の調整を行っているのだろうか。
「一人ひとりの性格にもよるので、何が正解、とは言えませんが、僕は物事をある程度楽観的に考えて、リラックスして過ごすことを大切にしています。食事制限をしたり、睡眠時間に気を遣ったりと厳しくやっていた時期もあったのですが、その“過程”に満足してしまったところがあって。結局、選手になると評価されるのは“結果”だけなので、調整を頑張り過ぎるよりは競技に集中することのほうが大事だと思うんです。この考え方は、母校である明善高校の校訓『克己・盡力・楽天』にも影響を受けています。己に打ち勝つこと、何事にも力を尽くすこと。それらに並ぶくらい、楽観的な心を持っていることは大事なんだ、と」
徹底した自己管理によって調子を整えるアスリートも多い中、緒方氏はあえてストイックになり過ぎず、自然体で競技と向き合う。その姿勢が、大会におけるイレギュラーな事態への対応力にもつながっているという。
「スポーツクライミングは、ちょっとした湿度や気温の変化にも影響されやすい競技です。さまざまな大会が世界各国で開催される以上は、そうした環境の変化や現地の食事に順応しなければなりません。その点、僕は日本にいる時から特にルーティンを設けず生活していますし、食べ物の好き嫌いも時差ボケもほとんどないので、その時々の状況への対応力は高いと思います。自分の中でルールを決め過ぎないということが、物事を良い方向へ運ぶこともあるんです。以前は、大きな大会の後に解放感からつい食べ過ぎてしまい、立て直しに時間がかかったこともありましたが、最近はその辺りの切り替えもうまくできるようになって、通年で良いパフォーマンスを出せているという実感があります」
ワールドカップ優勝で得た揺るがぬ自信
10代から世界のトップレベルで活躍し続けてきた緒方氏だが、2019年にワールドカップ初優勝を果たしてからはさらにすごみが増し、2021年、2022年の2年連続でワールドカップ年間優勝を達成するなど押しも押されもせぬ選手へと成長を遂げた。自身の中で転機となった出来事があったか、尋ねてみた。
「2019年のワールドカップで優勝した時、それまで苦手としていたテクニック系のコースを登ることができて、弱点を克服してきたんだ、という自信を持てたことが大きかったですね。その後すぐコロナ禍になって、大会がない期間が1年ほどあったので、そこでさらに弱点を補う反復練習を積んで、自信を揺るぎないものにしていきました。もともと、フィジカルは世界トップクラスだと自負していたので、足かせになっていた下半身のテクニックが追いついたことで、成績を高いレベルで安定させられるようになり、年間優勝につながったのだと思います」
自分のスタイルを持ちながら、ウィークポイントも消していく――これは、世界のトップ選手全員が取り組んでいることであると、緒方氏は力説する。
「先ほども少し話しましたが、国によってクライミングのスタイルは大きく違いますし、個人のレベルで具体例を挙げ始めると切りがありません。皆、それぞれに強みがあるのは言うまでもないですが、トップの選手になるほど、いろんな選手の良いところをまねして、弱点を消していくんです。僕も、そこはかなり強く意識しています」
他の選手の技術を見て盗む、というのは、どの競技でも求められるスキルだろう。しかし、スポーツクライミングにおいてはその手法が少し異なる。
「日本チームは皆、仲が良いですし、僕も一緒に競技をしていて自分ができなかった動きについては、すぐに『どうやってやるの?』と聞きに行くようにしています。最近はSNSなどでも各選手が動画をアップしているので、難しいコースにぶち当たった時はすぐ動画を見て参考にしているんです。変なプライドで自分だけで何とかしようとするより、僕より長けているものを持っている選手に聞いたほうが早いですからね。ちなみに、大会の決勝ラウンドの前にも、課題を見て選手同士で話し合いをする『オブザベーション』という時間があるのですが、僕はそこでも日本人選手だけでなく海外選手とも積極的にコミュニケーションを取って、どういう登り方をするのが自分にとってベストなのか、じっくり時間をかけて考えるようにしています」
勝敗を競うライバル同士でも、技術や登り方について惜しみなく情報交換をする。その雰囲気が、スポーツクライミングの1つの魅力であると緒方氏は語る。
「他競技がどうかはわからないですが、スポーツクライミングは対戦する選手への敵対心はないですし、同じ課題に対して皆で取り組んでいくという前向きな雰囲気があるところが、この競技の素敵なところだと思います」
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