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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

「誰もやっていないことに挑戦したいという
思いが、昔から私の中に強くあります」

 

花創作家になったのは半ば偶然だった

1987年にシンガーソングライターの長渕剛氏と結婚してからは専業主婦に転身し、家事育児に専念するようになった志穂美氏。現在は花創作家として活動する同氏に、花に携わるようになるまでの経緯についてうかがった。

「女優の仕事に関しては、『日本一のアクション女優になる』という明確な目標を持って目指し始めましたが、それとは対照的に、花創作家になったのは私の意志とはほぼ無関係だったんです。最初のきっかけは2010年に、懇意にしてもらっていたアナウンサーの河野景子さんから『悦っちゃん、お花を習いにいこうよ』と誘われたことでした。当時、私はお花に関してまったくの素人でしたが、河野さんに『自分の好きなように花を挿せばいいの』と言われ、『それならおもしろいかもしれない』と思い、ある会へ習いに行ったんです。するとそこでは、皆さんがそれぞれのオリジナルで花を生けていたので、『私も練習しないとこんなふうにはできないな』と感じました。その時、義父の命日に花のアトリエからとても美しいお供えの花が送られてきたのを思い出し、それと同じものをつくってみようと思い、見よう見まねで何とか仕上げたところ、褒めていただけたんです。そこで、その供花を送ってきてくれたアトリエにお願いしてフラワーアレンジメントを教えてもらうことにしました。そのアトリエに通い基本を習いつつ、もう一方では自由に自分のオリジナルを生けるという作業を1年半ほど繰り返したんです。そんな中、東日本大震災が起きました。私は自分が手がけた花をすべて自分で写真に撮っていたので、それを1冊の写真集にして自費出版し、売り上げ金を被災地に全額寄付したんです。するとその写真集を見た奈良県の薬師寺の僧侶の方から、『寺のお堂をお花で飾ってみませんか』というオファーをいただき、それを行ったところ、テレビの取材が殺到するようになりました。このように、私にはそんな大それた意志はなかったのにいつの間にか注目され、気付いたら花創作家になっていたんです(笑)」
 

大きな転機となった被災地での経験

東日本大震災の被災地の他、ケニアやチベットの難民キャンプへの支援活動も続ける志穂美氏は、花創作家として活動するうえで、社会貢献の意識を持つようになったことが1つの転機だったと振り返る。

「東日本大震災の時に、4トントラックに夫のコンサートグッズを乗せ、物資として被災地に届けました。最初に訪れたのは岩手県山田町でしたが、そこで震災によって家などあらゆるものが流されている無残な光景を目にし、涙がぼろぼろこぼれたんです。あれほど胸が苦しく、悲しくなった経験をしたことはそれまでにありませんでした。例えると、自分の体を傷つけられたような感じで、『私にできることがあれば何でもやりたい』と心の底から思ったんです。それで2012年に、名前を隠して宮城県七ヶ浜町にボランティアに行きました。その時に現地の人たちと交流ができたので、翌年、仮設住宅で暮らすおばあちゃんたちと一緒にお花をつくるというフラワーアレンジメント教室を開いたんです。そうしたら、そのおばあちゃんたちが『震災後、ようやくお花と向き合うことができた』と、喜んで泣かれて···。『震災で亡くなった夫に手向ける花をつくりたい』と言う方もいらっしゃったので、私も一緒につくったんです。それをきっかけに、花創作家としてよりアクティブに活動するようになりました。好きな花は、その時々で変わりますね。大地に力強く咲き誇っているひまわりがいいなと思う時もあれば、ジンジャーの匂いに強く引かれることもあるんです。最近は、テレビ番組でつくった八重ユリの美しさにも魅力を感じます」
 

昔から持ち続けていた「開拓者精神」

かつて夢中になって励んだ女優の仕事と、現在取り組んでいる花創作家の仕事。一見すると接点がないようにも思えるこの2つの仕事に何か共通点はあるのだろうか?併せて、仕事をする際に志穂美氏が一貫して心がけていることや、これだけは譲れないといった矜持についても聞いてみた。

「私は花を生ける時にはいつも、まだ誰も見たことのない花を生けてみたいと思うんです。それは、日本で最初のアクション女優になることを夢見ていた頃の気持ちと通じるものがあるように感じます。『花を生ける』という行為に関する通念を覆したいという気持ちが強いんです。優しくてかわいい花というよりも、私ならではの力強くてダイナミックな花にしたいな、と。例えば、立ち木や竹を組み合わせて、少し鋭角的な器の中で花を生けるようなイメージですね。まあ、意図しなくても往々にして自然とそうなってしまうのですが(笑)。誰もやっていないことに挑戦したいという『開拓者精神』のようなものが、昔から私の中にはすごくあります。若い頃の私には『こんなふうになりたい』と思える理想の女性がいませんでした。さらに言うと、今も目指したい女性像が見当たりません。私は花を生けることができ、なおかつアクションもできるおばあちゃんになりたいんです。そんな人、まだどこにもいませんよね?」
 

 

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