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巻頭企画天馬空を行く

相撲の魅力の1つは明快であるところ

初入幕は2000年7月場所で、当時の安治川氏は幕内最年少(21歳)。一方、2017年の11月場所では昭和以降最年長の幕内再入幕も果たした。「最年少」と「最年長」の両方を経験した稀有な力士であった同氏が考える相撲の魅力とは何なのだろうか。

「相撲をやっている立場からしたら、年齢や経験など関係なく、土俵の上で自分を表現できるというのはすごく魅力的なことです。さらにはテレビで放送され全国の人たちがそれを見て、たくさんのお客様が応援してくれる。そんな中で土俵に立つと、『またこの場所に上がりたい』という気持ちになるんですよね。他方、見る側からしたら、至近距離で力士同士がぶつかり合うという緊張感が相撲の醍醐味ではないでしょうか。土俵を離れた今も、『ああ、やっぱり相撲っていいものだな』としみじみ感じますね。相撲というのはわかりやすいスポーツで、力士の表情もよく見えますし、いろいろな点で明快なところも魅力の1つではないかと思います。同時に、先ほどもお話ししたように心理戦でもあるので、2人の力士がどのようなことを考えているのか想像を膨らませることもできる―やっぱり、相撲はおもしろいですね。40歳まで現役で土俵に上がることができた一番の理由は、とにかく相撲が好きだったからだと思います。それからいま振り返ると、若い時に苦しい稽古を数多く経験したことが蓄積となって、年齢を重ねてもその時々の体でできることを探りながらさまざまな工夫を凝らしたのもよかったのではないでしょうか。また、34歳の時に結婚したことも、長く相撲を続けられた大きな要因だと思います。私は結婚するまで食事に無頓着なタイプでしたが、妻が料理を勉強していろいろと食事のバランスを考えてくれるようになったんです。それ以降、朝に稽古場へ行っても体が疲れなくなりました。すでに30代半ばだったこともあり、いっそう食事の大切さを実感しましたね。そこからまた力士として伸びることができたので、そうした意味でも妻には感謝しています」

違った視点で相撲を捉えた大学院時代

2019年7月場所で現役引退した安治川氏は、伊勢ヶ濱部屋の部屋付き親方として指導する一方、スポーツビジネス(相撲部屋の経営)を学ぶため、2021年4月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制に入学した。「もともと勉強は好きでした」と話す同氏だが、どのような思いがあって新しい門をたたいたのか。

「物心ついた頃からずっと相撲の世界で生きてきたので、『少し外の世界のことも知ったほうがいいんじゃないか』という思いは以前からずっと抱いていました。それで、私の妻が早稲田大学出身ということもあり、同大学の大学院のことを何かの記事で知ったんです。新型コロナウイルス感染症の影響で断髪式が延期になりましたし、妻から『大学院で勉強してみたら』と勧められて1年間大学院で学ぶことを決めました。親方になり、現役時代とはまた違った視点で物事を捉えることが大事になってくるとも考えていたので、在学中は毎日大変でしたが、とても良い経験ができたと思っています。『相撲』というテーマ1つをとっても、多角的な視点から掘り下げることができたのは大きな収穫でしたね。先生からはさまざまなことを一から教えていただきましたし、学部生たちにも大いに助けていただきました。一心不乱に相撲に打ち込んでいた自分を忘れられる貴重な時間をつくることができ、今後指導者としての道を歩んでいくうえでも非常に充実した時間を過ごすことができたと感じています。同時に、1年間の勉強を通して、経営者というのは本当に大変な仕事であることも知りました。昔に比べて大相撲の新弟子合格者数が減っている中で、相撲界を盛り上げていくために自分ができることは何だろうと考えさせられる契機になったのもよかったですね。その意味で、これからも勉強は続けていくつもりです」

「まずはやってみる」ことの大切さ

大きなケガと向き合いながら、22年半の長きにわたって土俵に上がり続けた安治川氏の相撲人生はさまざまな意味で挑戦の連続だったはずだ。現役引退後も、大学院で学ぶなど、新たな「土俵」で挑戦を続ける同氏に、「挑戦することの意義」について語ってもらった。

「確かに、安治川部屋に入門した時も、横綱や大関に向かっていった時も、私の相撲人生は常に挑戦の連続でした。現役を引退してからも、また一から新しいことに挑戦していると言えます。現役時代から私の中で変わらないのは、『とにかくやってみないとわからない』という気持ちです。それが好奇心なのか、あるいは楽観性なのか定かではありませんが、まずは何事もやってみてから考えればいいかな、という思いは一貫しています。『もしかしたらうまくいかないんじゃないか』という疑念は一度置いておいて、まずは行動に移すということが大事です。そしてそこを起点として、いろいろと思案していけばいいのではないでしょうか。私は昔からそういうタイプで、一歩踏み出せばその『一歩』が自分の進んでいく道をつくっていくのではないのかという考えを持っているんです。とはいえ、私も年齢的なことがあるので、親方になって新たな挑戦をすることに対する不安が皆無というわけではありません。でも、命まで取られるわけではないという思いがいつも心のどこかにあるので、『とにかくやってみよう。そしてその先のことはやってみてから決めよう』という挑戦者魂のようなものが自分の中から消えることはないんです」

自分の経験を新弟子たちに伝えたい

2022年5月29日に行われた断髪式では涙を流していた安治川氏。その断髪式で「自分の部屋を持つ夢に向かってもっと勉強する」と述べていた同氏に、インタビューの締めくくりとして将来のビジョンについて語ってもらった。

「新型コロナウイルス感染症の影響で延期したこともあり、断髪式の時は多くの方に来ていただき、感謝の念に堪えませんでした。千代大海関と魁皇関にはさみを入れてもらった時は、必死になってお二人を倒そうとしていた若い頃の記憶がよみがえり、厳しくもあり優しくもあった先輩である彼らの存在が自分にとっていかにありがたかったかを改めて実感しました。また、父が喜ぶ姿を見るのが私の相撲人生の原点なので、最後にその父にはさみを入れてもらった時には感極まりしたね。これまでずっと相撲を続けてきて、少しは親孝行ができたかな、と。今後については、指導者として昔のようなスタイルで若い子を教えるのが難しいことはわかっていますが、そのことばかりを考えていても仕方ありません。とにかく新弟子たちと真摯に向き合いながら、彼らが強くなるために自分がこれまで学んできたことをしっかりと伝えていきたいですね。早く自分の部屋を持つためにも私ももっと勉強しなければいけませんし、ただ厳しく指導するばかりではなく、新弟子たちが相撲以外の面でも人間として成長するためにはどうすればよいか――それを一緒になって考え、また実践していきたいと思っています」

(取材:2022年9月)
取材 / 文:徳永隆宏
写真:竹内洋平

[書籍紹介]
『けっぱれ相撲道 [安美錦自伝]』
安治川竜児/著

 
度重なるケガと戦い、土俵に上がり続けた22年半。関取在位117場所は歴代1位。5人の横綱から金星を奪い、「稀代の業師」「土俵際の魔術師」として名をはせた、津軽のじょっぱり(頑固者)。土俵を愛し、土俵に愛された男の唯一無二の相撲道。その生き様とは――。
2019年7月場所で引退した元関脇・安美錦の生い立ちから入門、関取時代、そして引退までの半生をつづった1冊。
定価:1,200円(税込み)
発行所:光文社 

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