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Challenge+(C-plus)

巻頭企画天馬空を行く

楽観的な姿勢でケガと向き合い続けた

安治川氏の相撲人生で大きなターニングポイントとなったのは、25歳の時に負った右膝の前十字靱帯断裂と半月板損傷という大ケガだった。医師から強く勧められたにも関わらず、手術をしなかった同氏は、その後も長年にわたって右膝のケガに悩まされることになる。一体どのような心構えでケガと向き合ってきたのだろうか。

「右膝の前十字靱帯を断裂した時は幕尻(幕内の中で最も下の地位)にいたので、休場すると十両に落ちてしまう、という危機感を抱きました。そうした事情もあり、何とか出場できないかと医師に相談したところ、『手術をしなければいけない』と告げられたんです。それでも、『どうにか手術を回避する方法はありませんか』と懇願すると、『どうしてもと言うのなら、靱帯の周りの筋肉を鍛えて膝を支える方向でリハビリをしてみよう』という方針になりました。それで、立ち合いの際の足の位置を逆にするなどいろいろな工夫をしながら次の場所に出場したところ、何とか相撲を取ることができたので、『これなら大丈夫かな』と思えたんです。当時は『もし、どうしても駄目なら手術をすればいいや』くらいの気持ちでしたね。そのケガをきっかけにして筋力トレーニングにも本格的に励むようになり、相撲への意識がより真剣なものに変わっていきました。それまではまだ若く、自分なりに満足のいく相撲も取れていたので、『これくらいでいいのかも』といった気持ちで、若干、稽古をおろそかにしていた面もあったんです。一方、ケガについてはあまり考えすぎなかったのがよかったと思います。深く考えてしまうと悩みにはまり込んでしまい、良い方向にいかなくなるものなんです。言ってみれば、私の場合は人体実験に近い感じで(笑)、いろいろなことを試しました。『本当にこんなことが効果あるのだろうか』と疑問に思うような治療もとりあえずやってみたり、整体院に行ってみたり、薬草のお風呂に入ってみたり・・・。気功を試したこともありましたね。『とりあえずどんなことでも試してみて、それでも駄目なら別の方法を探そう』といった楽観的なスタンスが、長い目で見ると結果的に良かったのだと思います」

相撲では心理戦も重要なポイントになる

決まり手は45手に及び、技能賞を6度受賞して若い頃は角界屈指の「業師」「技巧派」と称され、ベテランになるにつれて前に出る力が増したと評された安治川氏。そんな熟練の力士だった同氏に、相撲の取組で勝利するため重要なことについて聞いてみた。

「取組自体に関しては、立ち合いと、相手力士に当たってからの次の攻め、それが特に大事だと思っています。そこまでを自分のペースに持っていくことで、その後の流れをつくることができるからです。ただ、取組までにどの力士もしっかり稽古してきますから、最も大切なのは土俵に上がった時の気の持ちようではないかと私は考えます。相手を目の前にして2、3回仕切っているうちに『今日の相手はどんな調子なんだろう』など、いろいろな思いが芽生えてくるものなので、そうした気持ちを抑え込むのか、あるいはくみ上げるのかを、その都度決めなければなりません。でも最終的には、とにかく相手に強く当たることに意識を集中させ、迷わないことが大切なんですよね。土俵上であれこれ考えている時というのは、往々にしてうまくいかないものなんです。ですから、結局は迷わない力士が一番強いのかな、と。その迷いを払拭するために、日頃から稽古に励むのだと思います。私はよく『緊張しているように見えない』と言われましたが、もちろん緊張する時もありました。でも、いったん土俵に上がるとその取組にスーッと気持ちが入っていけたのは自分の特性だったのかなと感じています。私は一見淡々としているように見えるらしく、そんな様子を見た相手力士が勝手に警戒して悩んでくれ、それが功を奏したこともありました。相撲とはそうした心理戦も重要な要素の1つなんです。自分のことを研究してくる相手の裏を突くなど、土俵の上で冷静でいられたことにより、駆け引きに成功できたケースも多かったですね。事前に気持ちを固めたうえで土俵に上がることができた―それが私にとってはすごく大きなことだったと、いま改めて感じます」

 

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