巻頭企画天馬空を行く
陳 建一
四川飯店グループ
オーナーシェフ
1956 年東京生まれ。麻婆豆腐などに代表される四川料理を日本に紹介し、四川料理の父と言われた料理人、陳 建民の長男として育つ。東京中華学校、玉川大学文学部英米文学科在学中に様々なジャンルの料理を学ぶためアルバイトにいそしみ、大学卒業後は、父が立ち上げた四川飯店に入店。父に弟子入りし修業を積む。1993 年、フジテレビ『料理の鉄人』に「中華の鉄人」として登場し、そのユーモラスで愛嬌のあるキャラクターが一躍話題に。人気タレントを凌駕する知名度を築き上げ、『陳建一のうま辛でごはんがおいしい四川料理』など著書も数多く執筆。現在は子息・陳建太郎の世代に店を受け継がせていくための準備段階に入った。自ら厨房に入ると同時に、多数の店を統率、さらには後進の育成にも余念がない。
サービスにマニュアルはない
「サービスの原点って、人が喜ぶようなことをできるかどうかでしょ。俺だって食べることは大好きだし、人が喜んでいるのを見ると『やったぜベイビー』ってVサインしちゃう。昔からその気持ちは全然変わってないんだよな」。
陳の若かりし頃、既に日本における四川料理の第一人者となっていた父・建民は、弟子を育て、料理学校を作り、後進の指導にいそしんでいた。今でこそレシピ本が当たり前のように出版され、インターネットでも著名料理人のレシピが簡単に手に入る時代になった。だがその頃、料理人がレシピを公開するということは極めて異例のことだった。
「日本で店を開いて多くのお客さんが来てくれていたし、料理学校にも主婦や同業者が注目し、入ってきてくれた。だから日本の皆さんに、ひとつ恩返しをしたいというのが父の考えだったんだ。当時としたら画期的なことだったんだよ」。
偉大なる父の跡目となる陳も、子どものころから料理人を志していたという。
「俺の場合は食い意地が張っているし、料理が好きだから、もうこの仕事しかなかったんだよね」。
そう考えた結果、学生時代には料理店でアルバイト三昧の日々を過ごすことになる。驚くべきは中華一筋かと思いきや、アルバイト時代は多種多様なジャンルを経験してきたこと。
「だって中華とか四川は、店にはいりゃイヤでもやるようになるんだから、イタリアン、フレンチ、和みたいに、まったく違うところでやるほうがおもしろいじゃん!」。
そうした多種多様なアルバイト経験を経て、陳の中にある価値観が芽生えたという。 「アルバイト時代によくやっていたのが人間観察なんだ。お客さんのことをじーっと観察するわけ。でね、『この人には、こういうことをすると喜ばれるな』『でもあの人には通じないな』ということを失敗しながら経験してきたんだよ。うまくいくと『坊や、これでなんか美味しいものでも食べなさい』ってお小遣いくれたりするんだぜ?やったぜベイビーだよな(笑)。その頃から思っていたよ。サービスにマニュアルなんてないんだな、ってさ」。
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