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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

弟子の将来のために気づきを促す

四川飯店グループ オーナーシェフ 陳 建一

陳の流儀はシンプルだ。アドバイスをするのは決まって皆でテーブルを囲んでいるとき。例えば夕食の席ならば、1日の仕事から解放され、皆リラックスした気分になる。そのときに、料理や店に対する彼らの思いを聞いていくそうだ。自分で店を持ちたいという夢を抱いている料理人は多いので、そのために今学んでおくべきことを、陳は自分で気づいてもらうというやり方を徹底している。陳が何かを教えるというのではなく、気づきを促すことを徹底している。

「今は四川飯店のスタッフなんだから、弟子たちも四川飯店のルールに従う必要があるよな?言い換えれば、誰かが決めてくれたルールがあるから、それに従っていたら楽ではあるんだよ。でも独立したら、自分自身がルールを決めていかなきゃならない。そのときにさ、店のスタッフにどういう指導ができるか、それは自分が体感したことじゃないと分かんないわけよ。笑顔の大事さを感じてもらいたいときには、自分が笑顔で喜びをもらわないと分かんない。お茶を1杯出すにしても、出してもらって気持ちがいいやり方というのを自分が受けてみないと分からない。そういうサービス精神みたいなのは、得意不得意がどうしてもあるので、できないなりにも適材適所を見出してやらなきゃいけない。でも、結局のところ全ての仕事に言えることってのは1つでさ。テクニックじゃない、気持ちの持ちようなんだよ。それって教えようとして教えられるもんじゃないだろ?」。

陳が本格的に料理人の道へ入ったとき、そこには既に父が築き上げた四川飯店という金看板があった。四川飯店でデビューを果たしたルーキーは、こうした柔軟な価値観を持ってはいたものの、理想と現実のはざまで戸惑いを感じることになる。

「いろんなスタッフがいたんだな。一言で言えば、とても大変なスタッフ(笑)。もう、笑顔の『え』の字もないし、取材でカメラが入ってフラッシュを焚いたりなんかすると、『まぶしいんだよ』なんて怒ってる始末。『ええっ、このコワい人たち、皆俺の先輩なの?』って、もうドギマギしちゃったのよ。よく言えば個性豊か。悪く言えば野蛮。しかもペーペーで入ってきたのが、社長のご子息ときたもんだ。いつかは父親の後を継ぐと分かってはいたので、この集団のトップになったとき、俺は大丈夫なのかなと心配になったよ。俺なんかより技術や経験がある料理人に何かを教えるなんて難しいわけじゃん。だから俺は、同じ喜びを分かち合える仲間を増やそうと思ったんだ」。

まずは自分が楽しみそれを周囲に見せていく

現在の四川飯店では、陳の育てた弟子が全店にいるわけではない。半分近くは、父・建民の弟子のため、陳とは兄弟子・弟弟子の間柄になる料理人も大勢いる。しかし、陳は父の弟子に再び自分の色を塗りなおすことはせず、自分が育てる弟子だけに、陳建一流の指導をしている。もちろんトップとして店を牽引していくには、自分に厳しくしなくてはならない。しかし、そこにも陳らしさが見え隠れし、職人として高いレベルを厳しく追及しながらも、 仕事を楽しむ姿勢を忘れない。正確には、楽しんでいることを弟子たちに見せることを忘れていない。

調理をする 陳 建一氏 「よく仕事はガマンした対価をお金でもらうものだと考えている人がいるじゃない?俺はダメなんだよな、その考え方。確かに、仕事はお金を得るためにやるものだけど、充実感っていうのかな?『やったぜベイビー』って思えるような感覚がなければ続けられないと思うんだよ。だって、俺自身がそうだから(笑)。『いやなことなんて、俺したくねーもーん』とか、平気で弟子の前で言っちゃってるからね(笑)。だからさ、仕事にパーフェクトを求めたくないんだ。お客さんのために一生懸命やることは大事だし、お客さんの喜びのために全力を尽くすことは大事なんだよ。だけど、パーフェクトを求めちゃうと、それだけで疲れちゃう。俺自身が仕事をする目的にしても、大金持ちになろうとは思ってないし、会社を大きくしたいとかそんなことは考えてこなかった。お客さんを喜ばせられるエンターテイナーをとにかくいっぱい育てたかったんだ。だって、ほら、レストランなんてさ、楽しむための場所じゃん?味の品評なんて評論家に任せておいて、料理人もお客さんも『やったぜベイビー』って喜ぶためにレストランに行くほうが楽しいじゃん?(笑)」。

陳はその「楽しさ」のために、日々新しいことを考えて、新しいエッセンスを吸収している。巨匠と呼ばれるようになった今でも、新しいことを学ぶという姿勢に驚きを覚えるかもしれないが、それも陳にとっては当たり前のこと。もちろんそこには陳ならではの苦労もあるようで・・・。

「皆、巨匠だとか何だとか持ち上げるから、俺が教えてほしいと思っても誰も教えてくれないんだよ(笑)。料理の世界で俺の位置なんてまだまだだよ。上には上がいるんだから。だからさ、俺、考えたの。息子(陳建太郎)は今31歳なんだけど、2012年の4月から上海に料理の勉強をしに行くわけ。その息子にある密命を託したんだ。『ちゃーんと勉強しろよ。いいな?それで帰ってきたら、ちゃーんと俺に教えろよ』って(笑)」。

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