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五輪出場を「夢」から「目標」に

 中学2年生時には史上最年少での全日本選手権ベスト4、さらにダブルスで世界選手権の代表に選出されるなど、順調に国内トップ選手への階段を登っていった石川さん。四天王寺高校に進学後もその勢いは増すばかりで、高校1年生にしてインターハイ、国体、選抜、全日本ジュニアといったタイトルを総なめにし、中でもインターハイは女子史上初の3連覇を達成するなど「無敵」と言ってよいほどの強さを発揮した。さらに高校3年生時の世界ジュニア卓球選手権の女子団体では中国の8連覇を阻止して優勝を果たしたことで、同世代の頂点に到達。その快進撃の背景には、五輪出場を目指す強い思いがあったという。

「自分の中で、選手として明らかに成長できたと感じられたターニングポイントは、ロンドン五輪出場を目指したことでした。それまでは“夢”だった五輪出場を“目標”として定めた瞬間に卓球との向き合い方や、日々の練習の打ち込み方、すべてが変わっていったんです。オリンピックに出るには、学生トップではなく日本のトップにならないといけない。その覚悟を持って厳しい練習をこなし続けたことが、さまざまな結果につながっていったのかな、と。2011年に全日本選手権の女子シングルスで初優勝できたのも、そうした努力の延長線上にあった出来事だと思います。この時は練習に打ち込めば打ち込むほど成長できている感覚があって、それが楽しかったですね。無茶をしている自覚はあるけれど、それができるのは今しかない、今やらなきゃ!と自分に言い聞かせていました」

3度の五輪、それぞれの視界

全日本選手権初優勝の勢いのまま、有言実行でロンドン五輪の代表に選ばれた石川さん。初めての五輪は、大舞台でプレーすることの緊張と喜びを目一杯に味わった経験だったと話す。

「ロンドン五輪の時は女子の代表選手の中で一番年下でしたし、先輩方に付いて行きながら思い切ったプレーができれば良いなと思っていました。とはいえ、やっぱり大舞台での緊張感はすごくあって、シングルスの初戦は危うく負けそうになったのですが、何とか挽回して勝利を収めたことで一気に緊張がほぐれたんです。そこからはただただ試合が楽しくて、この舞台に立つために頑張ってきたのだと思うと喜びもひとしおでしたし、ずっと試合をしていたい!という感じでした(笑)。最終的にシングルスでは日本選手として初めてのベスト4まで進め、団体でも日本卓球界初めてのメダルを取ることができて――金メダルの中国との差は感じつつも、全体としては満足できる五輪だったと思いますね」

シングルス、団体ともに日本初の快挙を成し遂げ、名実ともに日本の「エース」と呼べる存在となった石川さんは、その後も2014~2016年の全日本選手権の女子シングルスで3連覇を達成。当時の日本人で最高位となる世界ランキング5位でリオデジャネイロ五輪へ臨んだ。

「リオ五輪では自分が点を取って日本チームを盛り上げていく立場でしたし、“負けられないぞ”という強い気持ちを抱きながら挑むことになりました。シングルスのほうはアクシデントもあって残念な結果に終わってしまったので、その悔しい気持ちを団体戦にぶつけようと思って――前回大会でメダルを取っているだけに周囲の期待が大きく、必ずメダルを取らなければならないプレッシャーもありましたが、本番までの苦しい練習を思い出すことで緊張を乗り越えられたんです。やはり、五輪のような大舞台ではその場でどうこうする、というのは難しいので、前もって“こういう事態になったらこうする”と準備をしていました。それが生きて、後悔のないプレーができたのが大きかったですね。結果的に、私自身は団体戦を無敗で終えて、銅メダルも獲得することができました。」

2017年以降は、“黄金世代”と呼ばれる若手選手たちが台頭する中で、自身も最前線に立ち続け、自己最高となる世界ランキング3位を経験。2021年には5年ぶり5度目となる全日本選手権でのシングルス優勝を果たし、迎えた東京五輪では日本選手団の副主将にも抜てきされた。チームをまとめる立場となり、石川さんは新たな気付きを得たという。

「女子卓球チームの中でも最年長になって、チーム全体のバランスのことや、士気についても考えるようになりました。若い選手たちが伸び伸びとプレーできるように、やりたいことができる環境を整えてあげる。もちろん、一人ひとりが高いプロ意識を持って大会に臨んでいるので過干渉にはならず、何かに困っていたり、助けを求めていたりしそうだと感じた時に率先して声を掛けるようにしていましたね。そうしたチームワークが試合にも好影響を与えるということを学べましたし、私自身もいろいろなことに視野を広げながら試合に臨めて、これまでの五輪とは違った経験・成長をすることができたと思います」

東京五輪でも女子団体で銀メダルを獲得し、3大会連続でのメダル獲得という偉業を達成した石川さん。共に戦った先輩・後輩たちにどんな思いを抱いているのか、改めて語ってもらった。

「どの選手にも共通して言えるのは、皆自分に厳しく、決して妥協を許さない強い心を持っているということです。年齢関係なく全員がそうなので、本当に尊敬しています。先輩たちの背中から学ぶことも多く、中でもダブルスのペアを組んで10年以上一緒に世界中を転戦させていただいた福原愛さんには、普段の練習への姿勢やプロ意識など、その背中からたくさんのことを教わりました。今は私が年長者になり、個性的で素晴らしい才能を持った後輩たちが増えてきて、私自身が何かを見せられているのかはわかりませんが···。それでも、日本卓球界には長い歴史があって、メダルが取れない時代から一歩ずつ積み重ねてきたものが今に生かされていると信じているので、私が先輩方から受け継いできたことを、後輩の選手たちにもつないでいってもらえたら嬉しく思いますね」

隣の選手が味方にもライバルにもなる

卓球は、同じ大会で団体戦と個人戦の両方が行われる場合が多く、団体戦のチームメートが個人戦のトーナメントで対戦相手になることも珍しくないという、ユニークな一面を持っている。そのポイントを含め、石川さんは団体戦・個人戦それぞれのおもしろさについてどう感じているのだろうか。

「私もそうですが、やっぱり日本選手は団体戦が好きな人が多いと思います。仲間に背中を押されて、いつも以上のパフォーマンスができるというか。その原動力となるチームワークにもいろんな形があって、仲良く手を取り合って前へ進むチームワークも、ライバル同士でバチバチと刺激し合うチームワークもある。どんな形であれ、1つの目標を定めて同じ方向を見られれば、自ずと良いチームが出来上がって結果も出ると思うんです。もちろん、チームメートとして頼もしければ頼もしいほど、シングルスで対戦する時には手強い相手になります。直前にダブルスのペアを組んでいた相手と戦わなければならないこともあって、気持ちの切り替えにはどうしても苦労しますが、そういう難しい局面を経験して乗り越えることも、緊張する大舞台では生きてくるんです。最後の最後、9オールとか10オールの局面での決断は自分でしなければならず、そこで思い切れるかどうかが勝負の分かれ目になる――それがシングルスの難しさでありおもしろさなのかもしれませんね」

継続の秘訣は変化し続けること

石川さんは2011年に全日本選手権初優勝を果たしてから、10年以上にわたって世界トップクラスの実力を維持している。10代の有力選手が次々と台頭してくる卓球界において、頂点に立ち続けるのは並大抵のことではない。2014年にはボールの素材がセルロイドからプラスチックに変わるなど、大きな環境の変化も経験しながら、トップフォームを維持できた秘訣について聞いてみた。

「ボールの素材が変わった時は本当に衝撃を受けて、打った感覚もまったく違っていたので、これは無理かもしれないな···と一時は思ってしまいました。それでも競技を続ける中で少しずつ自分なりのヒントを見つけて、対応できるようになっていったんです。自分自身、変化に対応することや、プレー・考え方をアップデートすることはとても大切にしていて、それが長くトップフォームを維持する秘訣だとも思っています。自分の得意なこと、やりたい型があったとしても、それに固執して周囲の変化を無視していると、いずれ使えないものになってしまう。だからこそ、単にパワーを付けるとか何かの技術を磨くという領域を超えて、競技の進化と共に自らも新しく変わり続けることが重要なのです」

 

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