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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

「泰然自若の姿勢を意識するようになってから、
立ち合いの景色がスローモーションになった」

 

19歳、最初で最後の金星

肉体の成長に合わせて才能が開花した白鵬氏は、あっという間に番付を駆け上がり、2004年3月場所で十両優勝を果たすと、外国人力士としては史上最年少となる19歳1ヶ月で新入幕となった。その勢いはとどまることを知らず、同年11月場所には当時7場所連続優勝を達成するなど全盛期にあった横綱・朝青龍氏を破り、自身にとって最初で最後となる金星(平幕の力士が横綱に勝つこと)も獲得した。この金星には特別な思いがあったと同氏は語る。

「あの日の金星には、実はいくつか前段があるんです。始まりは2003年の冬巡業で九州を訪れた時のこと。屋外での山稽古をやっていると朝青龍さんがやって来て、“モンゴル相撲をやるぞ”と誘ってくださったんです。土俵がないこともあり、いざ始まるとなかなか勝負がつかなくて―どんどんギャラリーが増えていって、最後は横綱の圧力に屈して負けましたが(笑)、そこで“あれ、横綱と長く相撲を取れたな”と手応えを得ることができました。さらに翌年の6月、中国公演の上海場所で、初日に優勝した朝青龍さんと、2日目に優勝した私との優勝決定戦が行われることになって。土俵では朝青龍さんの気迫がすごすぎて目を合わせることもできず、立ち合いからあっという間に中に入られて技を掛けられてしまったんです。でも、体が柔らかい私がとっさに足を抜いたら、朝青龍さんが尻もちをついてしまい・・・。勝ちはしたものの“勝ってしまった”という感じでした」

本場所外とはいえ、白鵬氏は朝青龍氏に勝ったことはあったのだ。しかし、なかなか「勝った」という実感を得られない――そんな同氏の心持ちを変えたのは、故郷でのある生き物との出会いだった。

「その後、7月に一度モンゴルへ帰省した際、真っ白な野生の狼と出会ったのですが、薄青い目で“どこからでもかかってこい”と言わんばかりの表情が印象的で、その映像がずっと頭に残っていました。そうして、11月場所で再び朝青龍さんと相まみえた時、不思議と真っすぐ顔を見られたんです。“人の目はなんて優しいんだろう”と。そこで気持ちが落ち着き、今度はしっかり勝つことができました。このように私の中では長いストーリーを経て勝ち得た金星だったので、今でも自分にとっては特別な一番なんです」

“最強”であり続けた14年

2005年以降はケガに苦しめられる時期がありながらも勝ち越しを継続し、2007年5月場所の全勝優勝をもって、ついに横綱の座に上り詰めた白鵬氏。横綱として初めての土俵入りの際には、披露した「型」が大きな話題となった。

「横綱土俵入りには2つの型があります。攻防一体を表す“雲龍型”と、攻めの姿勢を強く表す“不知火型”。どちらの型を選択するかについては正直、悩みました。私が尊敬する大横綱の双葉山さんも大鵬さんも雲龍型だったし、大成する横綱の多くは雲龍型で、不知火型は短命だというジンクスもあって。でも、最終的には部屋の大先輩である吉葉山さんと同じ不知火型を選ぶことにしたんです。“悪いジンクスがあるなら自分で変えてやればいい”と。それに、朝青龍さんも雲龍型だったので、ライバルとしてとりあえず逆を選んでおけば良いかなという気持ちも少しありました(笑)」

その言葉の通り、白鵬氏は圧倒的な強さで「不知火型=短命」のジンクスを打ち破っていくこととなる。2007年から2015年までは9年連続で年間最多勝。特に2010年3月場所から2011年5月場所にかけては7場所連続優勝を果たすなどまさに無敵だった。誰もが「勝って当たり前」という目で見る中、そのプレッシャーをはねのけて勝ち続けられた秘訣は何だったのだろうか。

「実はその頃、日本相撲協会を長く支える東西会の会長が、会う度に“双葉山と似ている”という話をしてくださっていて。そこまで言われるならと過去の映像を見てみると、確かにスタイルが似ていたんです。右四つの体勢から寄り切りや上手投げにつなげる――でも、決定的に違う部分が1つあって、それが立ち合いでした。私は相手より先に攻めるために立ち合いから力強く踏み込んでいくのですが、双葉山さんの立ち合いは、その踏み込みがまったくないんです。相手の出方をうかがって、何をされようと受け止め切って勝つ。まさしく泰然自若、“後の先”の境地がそこにありました。私自身は、“負けられない”という気持ちからどうしても踏み込みたくなってしまうので、双葉山さんのように15日間ずっと踏み込まない立ち合いを続けることは難しかったです。それでも、泰然自若の姿勢を意識するようになってからは、立ち合い中の景色がすべてスローモーションで見えるようになりました。私がもともと持っていた積極的に攻める“先の先”の姿勢と、双葉山さんから学んだ“後の先”の姿勢、2つが合わさったことで、良い結果につながったのだと思います」

7場所連続優勝の期間中、白鵬氏はその双葉山氏が持つ歴代1位の連勝記録「69」にも挑戦していた。しかし、2010年11月場所の2日目に後の横綱・稀勢の里氏に敗れ、連勝記録は「63」で止まることとなった。歴代最多の幕内優勝、歴代最多の幕内勝利と、現役時代にありとあらゆる記録を打ち立てた白鵬氏が、唯一塗り替えられなかった記録―そのことについてどのような思いを抱いているのか改めて語ってもらった。

「双葉山さんの連勝記録は69、私は第69代横綱と、数字のご縁もあっただけに、その記録を超えたいという気持ちは強かったですし、負けた瞬間はやはり残念でした。でも、歴代3位の連勝記録を持つ千代の富士さんも、双葉山さんも、負けた相手は後の横綱で、私も同じように後の横綱に負けたので、これも何かの因果なのかもしれません。そもそも、私はこれだけ勝ち続けられたことについて周囲には“運が良かったから”と言い続けてきました。ある時、親しくさせていただいている歌手の松山千春さんから、“運という字は軍が走ると書く。戦う人にしか運は来ない”と言われ、それ以来“運”という漢字が好きになったんです。連勝記録はだめでしたが、あの負けを糧にその後も勝ちを積み重ねられましたし、運が舞い込むだけの努力もしてきました。その誇りがなくなることはありません」

 

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