巻頭企画天馬空を行く

サンドファクトリー / K-POP FACTORY
CEO
キム・ミンソク
1981年7月21日生まれ。中学生の頃から歌手を志すも、芸能事務所と契約寸前まで話が進みながらまとまらない経験が重なり夢を断念し、カナダや日本へ語学留学をする。日本在留中にエイベックス(株)で所属アーティストのボーカルトレーニングを担当。27歳で帰国してボーカルアカデミーで働き始め、2年後に経営を引き継ぐ。生徒数が増えたことから規模を拡大し、「サンドファクトリー」を設立。2009年に韓国のケーブルテレビ「Mnet」で放送された「スーパースターK」のシーズン2で番組のボーカルトレーナーを務めたことから一気に認知度が高まる。イ・ハイやEXID、WINNERなど名だたるアーティストのボーカルトレーナーを務めつつ、アカデミーとしてプロを目指す歌手の育成に尽力。現在はK-POP文化のさらなる発展を掲げ、日本をはじめ海外各国にアカデミーを設立する準備も進めている。
カリスマ性のある歌とダンス、そしてファッションで、全世界を席巻しているといっても過言ではない「K-POP」。狭き門を突破してプロとして活躍するアーティストたちを支えながら、これから歌手を目指す若手にボーカルトレーニングを提供しているのが、「サンドファクトリー」のCEO、キムミンソク氏だ。発声と性格を結びつける独自のシステムを開発し、技術面だけでなくメンタル面でも生徒と真剣に向き合うことで高い評価を得てきた同氏は今、日本をはじめ海外でのアカデミー設立を見据えている。K-POP文化の発展のため最前線で走り続ける先駆者に、そのビジョンをたっぷりと語ってもらった。
歌手の夢から逃げるために日本へ
K-POPのボーカルトレーナーの第一人者として確固たる地位を築き上げているキム・ミンソク氏。10代から20代前半までは歌手を志し、プロになるまであと一歩のところまで上り詰めた。しかし、マネジメント会社との契約がうまくいかないことが何度も繰り返され、心がつぶれてしまいそうになったという。歌手の夢に見切りをつけたい―そんな逃避行的な発想で、同氏は語学留学を始めた。
「24歳の時、最初に留学したのはカナダでした。英語を学ぼうと思って教会へ行ったのですが、そこでゴスペルをやるようになって。歌を歌っていると、歌手になりたいという思いがまたふつふつと湧き上がってきてしまい、これはまずいと思ったので、日本へ行くことにしたんです。一度音楽から離れないと、歌手になるための行動をしてしまう、と(笑)。それで、しばらく日本語の勉強をしていたところ、私が20歳くらいの時に韓国で知り合った女性から連絡がきました。話を聞くと『今、エイベックスで仕事をしているから、担当している歌手をトレーニングしてくれないか』ということだったので、引き受けることにしたんです。思えばそれがボーカルトレーナーの最初の一歩ですね。当時、日本にはまだ歌のための練習室のようなものはどこにもなくて、カラオケでレッスンしたことを覚えています」
生徒のためにトレーナー業を継続
本気で目指していたからこそ、簡単には諦められない。そんな自分自身の夢から懸命に逃げながらも、音楽との接点は残ったキム氏。2007年に帰国し、ボーカルアカデミーで仕事をするようになったことで、同氏の運命はまた大きく動き出すことになる。
「ある日、私が歌手を目指していた頃にトレーナーをしてくれていた先生から『ボーカルアカデミーをつくったから働かないか』と連絡がありました。彼は以前、私が通っていたアカデミーを急にやめてしまい、その後5年ほどは音信不通だったので(笑)、少し勝手だなとは思いましたが、腕は間違いない人ですから、学ぶことがあるだろうと思って手伝うことにしたんです。ところが、その先生が2年後にスキャンダルを起こし、またしてもアカデミーを継続できなくなってしまって…。当時の生徒は11人、彼らには私から報告をしましたが、皆にレッスンを続けてほしいと頼まれました。私も、皆には以前の私と同じような思いをしてほしくなかったので、そこでアカデミーを引き継ぐことを決めたんです」
当時、キム氏は仁川の大学にも通っていた。午前中に授業を終えると、江南にあるアカデミーでトレーニングをするため、バスで1時間半かけて移動する。そんな毎日を送りながら、自身が進む道に疑問を抱くこともあったという。
「歌手の夢を諦めてからはサムスンのような大企業で働きたいと思って、英語や日本語の勉強をしていたので、この仕事が人生の職業になるなんて考えてもみませんでした。正直今でも、“どうして自分がボーカルトレーナーに!?”とふと思うことはあります(笑)。でも、自分が歌手を目指したことがあるからこそ、生徒たちの気持ちは誰よりもわかる。だから、結局は辞めずに続けられたのだと思います」
ボーカルトレーナーになったのは自分にとっては決断ではなく流れだった、と語るキム氏。しかし、アカデミー引き継ぎ時に11人だった生徒はみるみる増え、1年経たずして60人まで増えた。その要因はどこにあったのだろうか。
「私は、歌では“韓国の1番”にはなれませんでした。けれど、他者を見たときに、この人はここを直したら上手くなるというポイントを、私は瞬時に見抜くことができるんです。また、その人の性格や気持ちもすぐ理解するので、短時間で心を通じ合わせることもできる。もしかしたら、それが私の才能だったのかもしれません。ありがたいことに生徒が60人まで増えて、私1人だけでは抱えきれなくなったため、仲の良い友達に声をかけて、江南のピアノ教室の空き部屋を改装して再スタートしました。それがサンドファクトリーの始まりです」
オーディション番組を契機に躍進
アカデミーとしてこれから成長していこうというタイミングで、またとない好機が訪れる。韓国の大手ケーブルテレビ「Mnet」が、歌手のオーディション番組「スーパースターK」のシーズン2を開催することになったのだ。
「2009年にシーズン1を観た時から、アカデミーとして番組と一緒に仕事をしたいという思いを抱いていました。だから、シーズン2があると聞いた時は必死で伝手を探して、Mnetに電話をしたんです。お金はいらないからトレーニングをさせてほしい、と。すると、番組のプロデューサーが1ヶ月後に訪問してくれることになりました。私は、このチャンスを逃すわけにはいかないと急いで新しい場所を借りて、オーディションで決勝に進むことができる『TOP11』のための練習室を11個つくったんです。完成には間に合わず、プロデューサーと作家が来た時にはまだドアが付いていない状態だったのですが、『TOP11』のためにこれだけの空間を用意したということを懸命にアピールした結果、番組のボーカルトレーニングを任せていただけることになりました。もしもそこで権利を勝ち取れなかったら、ただお金を浪費しただけになるところだったので(笑)、本当に良かったですね。私の中で本当に大きな挑戦でした」
かくして、「スーパースターK」公式のボーカルトレーナーとして番組に参画することになったキム氏。放送中に「サンドファクトリー」がロゴとともに紹介され、韓国中にその存在が知れ渡ったことで、かつてない反響があったという。
「番組で私たちが紹介された直後、興味を持ってくださった方が約10万人もサンドファクトリーのサイトにアクセスしてくださって、一時はサーバーがダウンするほどでした。実は、それまでは韓国でも“歌を習う”ということが当たり前ではなく、ほとんどの人は独学でやっていたんです。ただ、例えばアイドルを輩出する会社などには才能がある人をトレーニングしてデビューさせる仕組みがずっと前からあったので、それを一般の方にも提供できるということを知らしめられたのが、私たちの功績なのかなと思っています」
巻頭企画 天馬空を行く
- 元K-1ファイター 武蔵
- ヒップホップアーティスト / 実業家 AK-69
- サンドファクトリー / K-POP FACTORY CEO キム・ミンソク
- 元K-1スーパーバンタム級王者 WBO世界バンタム級王者 武居 由樹 × 元ボクシング世界三階級王者 大橋ジムトレーナー 八重樫 東
- 株式会社 サンミュージックプロダクション 代表取締役社長 岡 博之
- 元サッカー日本代表 / NHKサッカー解説者 福西 崇史
- スポーツクライミング選手 緒方 良行
- 元プロバレーボール選手 / 元プロビーチバレーボール選手 越川 優
- ガールズケイリン選手 / 自転車競技トラック日本代表 太田 りゆ
- 花創作家 / 元女優 志穂美 悦子