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大偉業を成し遂げた後の2020年、鳥谷氏に転機が訪れる。16年間プレーした阪神タイガースを離れ、千葉ロッテマリーンズへ移籍することとなったのだ。本人も「選手としてはあの時に引退でも良かったかもしれないと思うこともある」と後に語るほど、難しかったであろう決断。当時、同氏は何を考え、どのように行動したのだろうか。

「タイガースでの最後の1、2年は思うような成績が残せなくて、試合に出られない日も増えました。でも、自分の中では体もまだ動くし、もう一度勝負の舞台に上がりたいと強く思っていて――残念ながらタイガースではそれを実現することが難しそうだったので、新天地を求める決意を固めたんです。声を掛けてくださった千葉ロッテマリーンズには感謝しかないですし、プロに入ってから自主トレを一緒にさせていただくなどずっと面倒をみてくださっていた井口資仁さんが監督をされていたというのも、個人的にすごく大きかったですね。何とかしてチームの力になろうという気持ちが、自然と湧いてきましたから」

勝負の舞台に立つ、その思いに突き動かされ、新たな一歩を踏み出した鳥谷氏。移籍して所属球団が変わったことで、それまで意識してこなかった角度・視点からも物事が見えるようになっていた。

「移籍後にまず驚いたのが、チームカラーのギャップでした。タイガースとマリーンズ、同じプロ野球のチームなのに、別物と思えてしまうほど雰囲気が違っていて。例えば、メディアに対する姿勢一つ取っても、タイガースは規制が厳しく強固なイメージなのに対し、マリーンズは広報担当者が自らスマホのカメラを回して、YouTubeに投稿するような、積極的に発信していくスタイル。そうした差を感じられる環境に身を投じることで、両者の良さや、足りない部分が見えたのは貴重な経験でしたね。また、コロナ禍の中での無観客試合はもちろん、初めて二軍での試合にも出場し、ファンの方や記者の注目度が低い中でモチベーションを上げていくことの難しさも痛感しました。同時に、タイガース時代、たくさんの人に見られてプレーしていたことが、どれだけ自分の力になっていたのかということもわかって――本当に、マリーンズでの2年は、人間的に大きく成長できた期間だったと思います」

鳥谷氏は、チーム内での自身の役割が変わったことを感じ、日々のトレーニングや試合中もそれを表現するように意識していたという。そこには、これからプロ野球界で飛躍することを目指す若手選手たちへの思いも込められていた。

「試合については、ずっとスタメンだった頃と比べて、代打や代走など、一度で仕事が完結する役割を与えられることが多くなったので、その瞬間に結果を出せるような集中の仕方をしていました。それまでは意識的に抑えていた感情も、ある程度は表に出して良いかな、と。また、若い選手たちには長く野球を続けてもらいたくて、そのためにはそれぞれが自分に合った調整法、準備の仕方を見つける必要があるので、それも伝えたいと思っていましたね。ただ、これは口で説明しても何をすれば良いかわかりにくいだろうと考え、ランニングやトレーニングをする姿を実際に見せて、時間の使い方の参考にしてもらっていたんです」

後悔なく次のステージへ

そうして、現役中に自らができることを全うし、2021年10月に引退を表明した鳥谷氏。その心境は、あまりにも清々しいものだった。

「今、こうして現役時代を振り返ってみて、後悔は一切ないですね。うまくいく時、いかない時、いろいろありましたが、いつでもその瞬間、自分ができることを探してやってきたので、僕のパフォーマンスはこれがマックスだったと、自信を持って言うことができます。もしかしたら、自分に言い聞かせている部分も多少あるかもしれませんが···18年間、満足のいくプロ野球生活でした」

後悔はない、やりきった。その言葉を迷いなく発するために、どれほどの挑戦と挫折、試行錯誤があっただろう。己が道を歩み続ける鳥谷氏は、引退後の人生をどう考えているのか。最後に少しだけ、未来のことを語ってもらった。

「小学3年生で野球を始めてから現役を引退するまで、ずっと狭い世界で生きてきたので、まずは野球以外のいろんなスポーツを見たり、実際にやってみたりしたいですね。各競技にはそれぞれ、特有の難しさや練習方法があるはずですから、それを学んで、伝える立場になれたらと。野球への関わり方については、すぐに指導者になるよりは、まだ自分が何をしていくか決めていない、あるいは迷っている子どもたちに、野球という選択肢を提示していく活動に興味があります。僕自身もそうでしたが、野球を始めてからも続けるかどうかで悩む時期はあるだけに、家庭のことや体のことも含めてサポートできる人がいれば、競技人口を増やすことにもつながると思うんです。もちろん、監督やコーチのオファーをいただけたら、前向きに考えます。ただ、その場合も自分がどんな監督になるとか、どんなチームづくりをするとかいうことを打ち出すよりは、選手のことを第一に考えて、彼らがどうプロとして食べていくのか、チーム内での立場を築いていくのかを長期的な視点で見るべきなのかな、と。プレーするのは選手なのだから、皆に気持ちよくやってもらいながら、自分はじっくりと基盤をつくって、たとえ次の監督にバトンを渡した後になったとしても、ちゃんとチームが完成したタイミングで優勝できればいい。そのくらいの気持ちでやれたら、それが1つの理想なのかもしれませんね」

(取材:2022年1月)
取材 / 文;鴨志田玲緒
写真:竹内洋平

 

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