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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

「金メダルを取るという1つの思いで結束した
からこそ思い描いていた夢を実現できたんです」

 

転機となったリオデジャネイロ五輪

着実に力を付けた見延氏は、2015年に日本人初となるエペ個人でのワールドカップ優勝を果たす。そうして迎えた2016年のリオデジャネイロ五輪。初出場ながら金メダルも視野に入れられる位置で臨んだが、結果はエペ個人6位―4年に1度の舞台の難しさを痛感すると同時に、同氏はあることの重要性に気付いた。

 

「初めて五輪に出られたことはもちろん嬉しかったですが、そこでメダルを取ってフェンシング人生の本当のスタートにするつもりだったので、結果については悔しい気持ちが大きかったですね。これじゃ駄目だ、金メダルを取らないとやってきた意味がないんだ、と。これは誰もが言うことですが、やはり五輪は特別な大会で、ワールドカップとも世界選手権ともまったく雰囲気が違いました。しかも、普段は日本代表のチームメートと共に転戦を重ねながら皆で気持ちをつくっていけるのに、リオデジャネイロ五輪は個人戦だけの出場だったのでそれができなかった。一方、強豪国の選手たちは団体戦も出場できるため選手村でもチームメートと普段通り過ごしていて、それを見た時に“これは結果に差が出るな”と思ったんです。1人だけで頑張るのには限界がある―そう悟った私は、日本選手全体のレベルを上げて、団体戦で金メダルを取ることに目標を定めました」

史上最強のチームでつかんだ金メダル

「団体で金」という、より具体的な目標を持って次の東京五輪へ向けて歩み始めた見延氏。日本代表チームで密にコミュニケーションを取って結束力を高めながら、個人でも2019年には世界ランキング1位になるなど確実にレベルアップを重ねていった。しかし、順調な歩みに思えた矢先、突然やって来たコロナ禍によって歯車が大きく狂わされてしまう。

「2020年は本当に大変な時期でした。東京五輪が延期になり、このままなくなってしまうかもしれないという不安の中でモチベーションを保ち続けることが難しかったですし、対人競技だから練習も満足にできなくて・・・。でも、私にとってはそれ以上に、チームメートとのつながりが切れてしまうことのほうがずっと苦しかったです。集まってコミュニケーションを取れないことで、チームワークが崩れてしまうのではないか―そんな考えが頭の中をよぎることもありました。しかし実際にはそんなことは微塵もなく、誰一人目標をぶらさずに、真っすぐに歩み続けてくれて。そのことが何よりも嬉しかったですね」

苦しい期間を乗り越えて迎えた2021年の東京五輪。日本代表チームはエペ団体で強豪国を次々と撃破し、日本フェンシング界にとって史上初となる金メダルを獲得した。キャプテンとしてメンバーをまとめていた見延氏には、大会期間中のチームはどう映っていたのだろうか。

「今思い返してみても、東京五輪の日本代表チームは“史上最強”だったと思います。メンバー4人が四者四様の良さを持っていて、それでいてチームとしてのまとまりもある。全員が金メダルを取るという1つの思いで結束していたからこそ、思い描いた夢を実現できたのでしょう。リオデジャネイロ五輪直後、団体で金メダルを取れると本当に信じていたのは恐らく私だけでした。そこから、“見延が言うなら”と1人ずつ仲間が増えていってたどり着いた景色だったので、思い続ければ夢はかなうのだと感慨深い気持ちになりましたね」

日本人らしさに進むべき道を見いだす

東京五輪後、見延氏は現役を続行するかどうか、しばらく思案する時期があった。それは、自身にとっても予想外のことだったという。

「東京五輪までは、結果に関わらず辞めることは考えていなかったんです。でも、金メダルを取ったことで、たくさんの方から反響をいただき、それが自分の期待を遥かに超えるもので―まだまだ道半ばだと思っていたはずが、ある種の満足感が芽生えてしまったのかもしれません。この先、競技を続けて五輪を連覇したとしても、同じ金メダル。それにどれだけの価値があるのだろう、と」

五輪金メダルという“最高峰”にたどり着いたからこそ生じた迷い。そんな中、ある人物との出会いが、見延氏に前へ進むためのヒントを与えることとなる。

「私は日本代表になってから、日本人として日の丸を背負って戦う意味というのを常に考えてきました。フェンシングだけでなく、日本人らしさも極めていきたい。そう思った時に、スポーツとは別の形になりますが、日々の活動の中で最も日本人らしさを研究し、極めているのは、陶芸や茶道の世界なのではないかと想像したんです。そんな中、コーチの1人が裏千家の大宗匠・千玄室さんとご縁があることを知り、私から頼み込んで、幸運にもお会いする機会をいただきました。そこでは私がフェンシングに懸ける思いや、この先も競技を続けるかどうかという迷いについて、包み隠さずお話しし、玄室さんも私の言葉すべてに丁寧に耳を傾けてくださって―そして最後に、『大きな岩の上で枯れた木も花を咲かせなければならない』という言葉をいただいたんです。単純に考えるなら、どんなに苦しい状況でも踏ん張って結果を出すべきだという意味に捉えられますが、私は玄室さんがおっしゃっているのはそういうことではない気がして、2週間ほどその意味を考え続けました。やがて私が出した答えは、“豊かなところに生えても、厳しいところに生えても、木に生まれたなら花を咲かせるのが普通だ”ということです。日本人は勝てないと言われた“不毛な”エペで金メダルを取ったという部分だけ切り取ると大きなことを成し遂げたように聞こえるけれど、フェンシング選手なら、フェンシングを通して結果を出すのは当たり前のこと。自分が今いるのは到達“点”ではなく、だだ自分の後ろに今まで歩んできた“道”があるだけ。ならば、ここで剣を置く理由はなく、この先も続く道へ一歩踏み進めるべきだろう、と。毎年変わらず花を咲かせる木のように、私も自分の道をただひたすらに歩みながら、フェンシングの極意を体現していけば良いと、そう考えるようになったんです」

 

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