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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

「これまで言えずにいた自分の好きなもの、
好きなことを発信しようと決心したんです」

 

“しょこたん”の名を知らしめたブログ

芸能界引退を思いとどまり、再出発した中川氏が最初に始めたことが、ブログ投稿だった。それが、後に“しょこたん”の名を全国に知らしめることとなる「しょこたん☆ぶろぐ」の始まりである。

「今でこそ日本のアニメや漫画は文化として認められるようになりましたが、私が10代の頃はアニメや漫画を好きと言ったり絵を描いたりしているだけで“キモい”と言われてしまう時代で、実際に私はそれが原因でいじめも受けました。でも、日本がこれまで築いてきた漫画、アニメ、アニソンの歴史は間違いなく素晴らしいもので、どうして堂々と好きだと言えないんだと、ずっとムカムカした思いを抱えていたんです。だから、最初はそのたまった鬱憤を全部吐き出そうという気持ちで始めたのですが、それだと嫌な思い出を反芻するだけになっちゃうなと思って。じゃあ逆に、これまで言えずにいた自分の好きなもの、好きなことを発信しようと決心したんです。自分だけの“明るい遺書”をつくろう、と」

自らのつらい過去をネガティブな感情として吐き出すのではなく、本当に好きなものの良さ・素晴らしさを発信するという形へ昇華させた中川氏。そのエネルギーはすさまじく、多い時には1日の投稿数が100を超えることもあった。すると、中川氏と似た境遇で「自分の好き」を言えずにいた人たちが次々と反応し、本人も驚くほどのスピードで広まっていったのだという。

「私が発信した“好き”に対して、僕もです私もですって、皆さんがすごく賛同してくれたり応援してくれたりして、あまりの反響にびっくりしました。私と同じように周りの目を気にして、好きを我慢している人がたくさんいたんだなと。私自身も、自分の言葉で生きた証を少しでも多く残したいという気持ちで、好きなことややりたいことを書き続けました。すると、それがどんどんお仕事につながっていくようになって――当時のマネジャーさんからも『デスノートならぬドリームノートだね』と言われたくらいです。実はブログを始めた頃の私は仕事も少なく、事務所の中の“クビ候補”だったのですが、そのマネジャーさんだけは『この子はまだ頑張れます』と守ってくださって、自由にやらせてくださったので、本当に感謝しかないですね」

好きを仕事へつなげてマルチタレントに

2006年に歌手デビューを果たした中川氏は、「アニソンを歌う人になりたい」という夢もすぐにかなえる。2007年にアニメ『天元突破グレンラガン』の主題歌として発表した『空色デイズ』は大ヒット曲となり、ソロライブのチケットは即完売、同年のNHK紅白歌合戦に選出されるほどのブームを巻き起こした。スターダムを一気に駆け上がるような状況を、本人はどう感じていたのだろうか。

「これは今でもそうなんですが、私自身は好きなことをやっているだけで、あまり芸能界という場所にいる感じがしないんです。マネジャーさんをはじめいろいろな方が応援して背中を押してくださったおかげで、結果的に大きな舞台に立つことができて。私はネットの世界でも幸せだったんですが、ライブをするようになったことで、直接会いに来てくださるファンの方が自分の傷を教えてくださったり、『しょこたんの言葉で元気になりました』と言ってくださったりして、びっくりするくらい生きるエネルギーをいただけたので、あらためて生きていて良かったと感じましたね」

その後、中川氏はアーティストとして全国ツアーを行いながら、絵画の作品展を開催したり、バラエティ番組で潜水艦に搭乗して水深5351mの深海へ潜ったり、マルチタレントとしての地位を確立していった。ジャンルを絞らずに活動することについて、自身ではどのような思いがあるのか、語ってもらった。

「今思い返すと、父も歌手、俳優、声優をやっていて、絵も描いていたので、かなりマルチな人だったんです。その背中を追いかけたわけではないけれど、結果的に私もこうなったので、そういう血が流れているのかもしれないですね。ただ、私自身がマルチに活動したいと強く思っているというよりは、応援してくださる方がいて初めて仕事になるので、皆さんのおかげでいろいろなことに挑戦させていただけているという感覚です」

中川氏は『劇場版ポケットモンスター』シリーズをはじめ、アニメ声優の仕事も多数こなしている。その中でも特に印象に残っているのが、2011年に公開されたディズニー作品『塔の上のラプンツェル』でラプンツェル役を演じたことだという。

「私もかつて、ラプンツェルのようにお家にこもって母と暮らしていて、動物が友だちで絵を描くことや歌うことが好きで――そういう共通点が多かったこともあり、オーディションで私を選んでいただいたんです。しかし、公開日と東日本大震災が重なったせいでなかなか公開できず、街も停電して真っ暗なままで。当時は『エンターテインメントは不要なんじゃないか』といった論調も出てきて私自身も悩んだのですが、10日くらい経ってじわじわと街が復旧して、節電モードで夜だけ開かれた映画館に、ラプンツェルを見に来たお客さんがぎっしりと詰めかけてくださったんです。そうして映画が始まると、皆さん声を上げて笑ったり、泣いたりされていて、その光景を見て私も心からの感動を覚えました。やっぱり芸術やエンターテインメントは絶対に必要なものだ、人の心に光をともせるものなんだ、と。同時に、こんなに大事なものを背負っているのだから、真面目に生きていこうという誓いも立てました」

特別な曲が生まれたアルバム制作

これまでに数々の楽曲を世に送り出してきた中川氏だが、2019年に手がけたアルバム『RGB~True Color~』では、ジャケットのイラストを自ら描き、限定版には特別な絵本を付属するなど、ファンにとっても本人にとっても特別な1枚となった。制作に際してどのような思いがあったのか、あらためて聞いてみた。

「ちょうど同じ時期に父の実家を取り壊すことになって、家の中のものを全部捨てると聞きました。鳴らないトランペットとか、オルゴールとか、昔の人は物持ちが良いから残っていて、それらはガラクタでも私にとって家族との思い出が詰まった宝物だったので、『捨てない捨てない!』と慌てて倉庫を借りて全部持ってきたんです(笑)。で、それを絵に描いて残しておこうと思って、ジャケットの背景にさせてもらいました。それと、父がため込んでいた歌詞の書き残しもたくさん出てきて、せっかくだから共作できないかなと思い、『ある日どこかで』という曲をつくりました。曲名は父と母がけんかした時に、仲直りで見た映画のタイトルから取って、歌詞には父の墓碑にもある『この思い また逢えるまで さぁ風にのれ』というフレーズを入れて――父が残した言葉に初めてメロディがついたことに感動しましたし、自分の曲の中でも一番好きな曲になったので、このアルバムを手がけられて本当に良かったです。『ある日どこかで』については、私の人生が積み重なることで意味や説得力が変わっていく予感があるだけに、これからも大切な曲として歌い重ねていきたいと思います」
 

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