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Challenge+(チャレンジプラス)

巻頭企画天馬空を行く

「自分の心の内をしっかりと表現することが
大事。それがAK-69のヒップホップです」

 

亡くなった父から学んだ「本当の強さ」

2016年には、Jay-Zやリアーナ、ジャスティン・ビーバー、パブリック・エナミーやビースティー・ボーイズ、ナズといったそうそうたるヒップホップアーティストも所属していたアメリカの名門レーベル「Def Jam Recordings」と契約し、日本人唯一の所属アーティストとなったAK-69氏。一方、私生活では同年の年末に父親が肺がんで他界し、翌2017年6月にはその父に宛てた曲『STRONGER』をリリースする。死を間近に控えた父親との関わりの中で生まれた気持ちの変化や、作曲に対する意識の変化について聞いてみた。

「『STRONGER』でも歌っていますが、正直に言うと、それまで父から影響を受けたことはあまりなかったんです。私の両親は母のほうが強くて、教育方針などすべて中心になって決めていたのは母でした。他方、父はまったく怒らずにいつも笑って寄り添ってくれる、いわば友達のような存在でしたね。ただ、これも同曲の中で歌っていますが、病に伏してから死ぬまでの父の所作を目の当たりにして、本当はすごく強い人だったということに気付きました。病院の医師たちも、父の精神力の強さに驚くほどだったんです。父が我慢強い人間であることは知っていましたが、そんなレベルではなかった。『本当の強さ』とは口の達者さや腕力などを誇示することではなく、父のような形で表すことができるということを知ったんです。父は優しい人でしたが、『優しいということは強いということなのだな』と学びましたね。私は今でもトレーニングを続けていますが、苦しい時には亡くなる前の父の姿を想起するんです。あの時の父に比べればきついトレーニングなんてどうってことないと思うと、おのずと目線が前を向きます。トレーニングに限らず、父の死によって生きていることに対する感謝の念を抱くようにもなりました。もちろんヒップホップにはファッション的な要素もありますが、自分の心の内をしっかりと表現することが何より大事であり、それこそがAK-69の音楽なんだということを再認識できた時期でもあったんです」

仕事の判断基準はカッコいいかどうか

2004年にアパレルブランド「BAGARCH」、2015年にマネジメント事務所「Flying B Entertainment」を立ち上げたAK-69氏は、同氏がリスペクトするラッパー、Jay-Zと同じように経営者としての顔も持っている。ラッパーでありながら、自らビジネスを手がけようと思った理由は何だったのだろうか。経営者・実業家として大事にしていることと併せて質問した。

「名古屋は東京のように、どこかの商社から『ブランドを立ち上げませんか』と話を持ちかけられたり、『テレビや雑誌に出てくれませんか』とメディアからオファーがきたりする場所ではありません。だから自分たちでフリーペーパーをつくったり、ローカル局の深夜枠を買って自らテレビ番組を制作したりするなど、インディペンデントにならざるを得ないんです。1アーティストが1ブランドを持っているのが当たり前の時代でした。当時はドメスティックブランドにも勢いがありましたし、2004年頃は私もラッパーとして名古屋で人気が出始めていたので、『じゃあブランドを立ち上げようか』という感じだったんです。私は自分のことを優秀な経営者だとは思っていませんが、大事にしているのは、情熱を注げない事業に時間を費やさないということですね。世の中には多額の資産を持たれている人がたくさんいますし、それほどの資産を持つことができる能力が備わっているというのは素晴らしいと思います。そうした人たちを否定する気持ちは毛頭ないのですが、私はお金もうけに特化した取り組みをしている人を見ても何も感じません。これは『Flying B Entertainment』の社訓でもありますが、私が本気で情熱を傾けられるのは『人生を変え得るエンターテインメントを人々に届ける』ことなんです。私たちが提供する音楽やエンターテインメントで、皆さんをエンパワーメントし、生活を良い方向に変える仕事ではないと心が燃えません。ですから、もしおいしいもうけ話があったとしても、私は『これはファンの人たちがしてほしいことだろうか?』とまず自分の心に問いかけるんです。ファンの人たちが喜ばない仕事のオファーであれば、躊躇なく断るようにしています。私は人がうらやむような大金を手にするよりも、カッコ良さにこだわりたいんですよ。『本当にカッコいいことかどうか』を、仕事をするうえでの判断基準にしています」

自分と同郷の子どもたちに対する思い

ヒップホップの特徴の1つに「レペゼン文化」がある(レぺゼンとは「代表する、象徴する」を意味するヒップホップ用語で、地域性と結びついている)。AK-69氏は自身の曲に名古屋弁を取り入れており、2023年1月には地元愛知県小牧市のスケートパークにBMXやスケートボードのジャンプ台を寄贈している。地元である小牧市に対する思いを語ってもらった。

「私には、地元の子どもたちに自分の背中を見せたいという思いがまずあるんです。『AK-69は小牧市の出身』だということで、子どもたちは私のことを身近な存在に感じてくれますよね。そんな彼らが『自分も小牧から出てあんなふうになりたい』と思ってくれるような活動をしたいと考えています。スケートパークへの寄贈も、小牧市には優秀なライダーが多いので彼らの夢を後押ししたいという気持ちがあったからです。寄贈式を行ったのですが、その時に会った子どもたちの目がすごくキラキラしていて、『夢にベット(賭け)するのは最高のことだな』と感じました。私とは活動のフィールドが異なるにせよ、小牧市から世界に羽ばたくオリンピアンが出てきたらこんなに嬉しいことはありません。それで彼らが私の曲を聞きながら成長し、その子どもたちがさらに下の世代に夢を見せる――そんな系譜をつくることができれば本望ですね」

 

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