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コラム

編集部のおすすめスポット探訪記 Report:3 旧白洲邸 武相荘
訪れることでリフレッシュできる、あるいは仕事に生かせるヒントやアイデアが得られるスポットを紹介する連載企画。第3回となる今号では、小田急線鶴川駅から徒歩15分の場所にある「旧白洲邸 武相荘」をご紹介したい。武相荘は、元内閣総理大臣の吉田茂氏の依頼で戦後GHQ(連合国最高司令官総司令部)との折衝にあたり、実業家としてもさまざまな功績を残した白洲次郎氏と、骨董の目利きとして知られ、日本美術に関する多くの著作を残した随筆家・白洲正子氏が、“ついのすみか”とした住居である。武蔵と相模の境に建つことから「武相荘」と名づけられた本住宅は、2001年に白洲夫妻の娘・牧山桂子氏のもとで一般公開された。2014年からは、レストランやバー、イベントスペースをオープンするなど、「誰もが来て、楽しめる場所」として変化してきた武相荘。その魅力や白洲夫妻の人物像を、桂子氏の夫で館長でもある牧山圭男氏にうかがった。

 
――白洲次郎氏は17歳から26歳までケンブリッジ大学で学び、戦後は吉田茂氏からの依頼でGHQとの折衝にあたりました。GHQに対してもおもねることなく頑強な態度を貫いた次郎氏は、「従順ならざる唯一の日本人」と評されたと言います。また、次郎氏は日本食糧工業(現在の(株)ニッスイ)の取締役、東北電力の会長などを務め、実業家としても辣腕を振るいました。次郎氏の娘婿である牧山氏から見て、次郎氏はどんな人物でしたか?
 
牧山 次郎は“プリンシプル”に則って行動することを何よりも大事にしていました。“プリンシプル”は直訳すると、原理・原則という意味ですが、次郎の感覚に一番近い言葉は“筋を通すこと”だったようです。例えば、次郎はいつでも自分の意見をはっきりと主張しました。「物事を曖昧にせず、自分の立場を率直に相手に示すこと。イエスorノーをはっきりさせること。西洋人と付き合う際にはそれが絶対に必要だ」と話していましたね。次郎のその態度は相手が誰であっても変わりません。GHQの高官たちに対しても、吉田茂氏に対しても、率直に物を言う。決してぶれない。私はそんな彼の態度から、真の国際人としての振る舞いを学びました。また、次郎は“アリバイ”のために働いたり、言い訳をしたりすることが一切ありませんでした。時に会社員というのは「何時間も会議をした」「徹夜で取り組んだ」といった“アリバイ”をつくるために仕事をしてしまうことがあります。でも本来大切にするべきなのは“会社や組織が掲げる目的のために、自分が何を成し遂げたか”ということです。次郎は常に公的な目的のために仕事をし、また、自分がした仕事に一切言い訳をしませんでした。
 
――桂子氏とご結婚されてから約20年間のお付き合いの中で、次郎氏の“プリンシプル”を感じた印象的なエピソードがあれば教えてください。
 
牧山 私が西武百貨店の外商部で働いていた時、次郎とのつながりで知り合った大手企業の課長を、次郎に無断で訪ねたことがあったんです。そうしたら偶然、次郎がその場に現れたんですよ。「君、ここで何をしているんだ?」と聞かれたので「中元の注文をいただこうかと思って」と答えたら次郎は「ふーん」と言って立ち去っていったのですが、後日「君と僕との関係は個人的なものにとどめておこうよ」と釘を刺されてしまいました。「知り合いの知り合いは他人だ」と言い、公私混同を嫌った次郎は、私の行動を見逃せなかったのでしょうね。徹底的に“プリンシプル”に基づいて行動する彼の生き方には、私もビジネスパーソンとして、多くのことを学びました。
 
――フェアプレーを尊ぶ次郎氏の考え方が感じられるお話ですね。では、正子氏は、牧山氏から見てどのような人物でしたか?
 
牧山 正子は、美に対して一切妥協しない人でした。西武百貨店で働いていた頃、香港の骨董屋で購入した瑠璃釉のどんぶり鉢を正子に見せたことがあったんです。時間をかけて「これは」というものを選んだので品には自信がありました。ところが、正子はその器を一見して「あ、そう」と言った後は見向きもしなかったんです。義理の息子が買ってきたものなんですから、普通はお世辞でも褒めるところですよね(笑)。でも、自分の美の感覚に対して絶対に嘘をつかない、それが彼女の信念だったんです。正子も次郎も、自分なりの信念があって、それに基づいて行動するという点では同じでした。だから2人とも、場当たり的な発言に対しては厳しかったですね。
 
――そんなお二人が戦争による食糧難に備えて1943年に引っ越してきたのがここ、武相荘でした。かやぶき屋根の住居は築150年以上になるそうですね。
 
牧山 はい。元は養蚕農家だったのを、2人が買い取って住み始めたんです。ぼろぼろだったところから、2人がそれぞれの好みを取り入れながら、何十年もかけて自分たちの暮らしをつくり上げていったんですよ。2人が長年住んでいたこの場所には、良い意味での生活感があるんです。
 
――確かに、田舎の祖父母の家を訪ねた時のような懐かしさ、居心地の良さを感じる空間だと思います。雑木林のようなお庭も自然を感じられる素敵な場所ですよね。
 
牧山 正子は“見て自然”、つまり、実際はきちんと手入れされているにもかかわらず、人の手が入っていることを感じさせない庭造りを大切にしていたんです。もちろん、私たちもその考えを引き継いでいます。里山のような風景が保たれているこの場所では、四季折々のお花が楽しめるんですよ。時にはキンランなど、絶滅危惧種と言われるような珍しいお花が咲くこともあります。また、野鳥が子どもを連れて遊びに来ることもあるんです。併設しているレストランやカフェではおいしいお食事も用意していますから、皆様には“日本の原風景”とも言えるこの場所で存分にリフレッシュしていただき、明日への英気を養っていただきたいと思っています。
 
――定期的にイベントも開催されているとうかがいました。11月にはどんなイベントが予定されていますか?
 
牧山 11月11日にはギタリスト・吉川忠英さんのソロ・コンサート、19日には、三味線奏者の岩田桃楠さんとパーカッショニストのさのみきひとさんによるライブがあります。お三方とも過去に武相荘のイベントスペース「能ヶ谷ラウンジ」で演奏していただいたことがあり、とても好評だったんですよ。
 
――自然豊かなこの場所で生演奏を楽しめるなんて、本当に素晴らしい機会ですよね。「あの白洲夫妻が住んでいた家」というところから、幅広い層の方々が楽しめる場所へと変化していっているように思えます。
 
牧山 そうですね。私たちは、2023年1月に(株)ポニーキャニオンおよび(株)ビームスと業務提携を結びました。私たちとはまったく違う観点から武相荘の魅力を発見・発信できる方々にもご協力いただき、この場所をさらに、「誰もが来て、楽しめる場所」にしていきたいと思っています。
 
取材・文:坪井 萌子
写真:坂本 隼

Focus!
かやぶき屋根の母屋はミュージアムとなっており、正子氏が収集した骨董や着物、次郎氏がその成立に深く関わった日本国憲法にまつわる歴史的資料など、夫妻ゆかりの品々が展示されている。写真上は次郎氏がGHQ宛に送った書簡“ジープ・ウェイ・レター”(複製)と同氏が愛用したオリベッティ社のタイプライター。写真下は正子氏が好んだという麦藁手の焼き物。2人の美意識や日本の歴史に触れられるのも、武相荘の大きな魅力の1つだ。
館長
牧山 圭男
 
1938年、東京生まれ。慶応義塾大学を卒業後、(株)ヤナセに入社。1965年、白洲夫妻の長女・桂子氏と結婚。1970年に西武百貨店に転職。常務取締役を経て、1997年に大沢商会常務取締役に就任する。2001年に退任して以降は、旧白洲邸 武相荘の運営に関わっている。
 
旧白洲邸 武相荘
【所在地】〒195-0053 東京都町田市能ヶ谷7-3-2
【TEL】042-735-5732
【開館時間】10:00~17:00(入場受付は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日・振替休日は開館 / 夏季・冬季休館あり)
【URL】 https://buaiso.com/

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