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コラム

シネマでひと息 theater 11
良質な映画は観た人の心を豊かにしてくれるもの。それは日々のリフレッシュや、仕事や人間関係の悩みを解決するヒントにもつながって、思いがけない形で人生を支えてくれるはずです。あなたの貴重な時間を有意義なインプットのひとときにするため、新作から名作まで幅広く知る映画ライターが“とっておきの一本”をご紹介します。

2023年5月、嬉しいニュースが海外から飛び込んできました。世界で最も名高い映画の祭典の1つであるカンヌ国際映画祭にて、なんと役所広司が最優秀男優賞を受賞。日本人俳優が同賞を獲得するのは史上2人目、実に19年ぶりのことです。あれから7ヶ月あまりが経ち、この待ちに待った作品が今ようやく全国の映画館で封切りを迎えています。監督を務めたのは小津安二郎を深く敬愛するドイツ人の名匠、ヴィム・ヴェンダース。『パリ、テキサス』(84)、『ベルリン・天使の詩』(87)などを筆頭に、特に1970年代から80年代にかけて日本でも人気を博した監督です。そんなヴェンダースが日本に招請され、東京が舞台の、日本人キャストに彩られた作品を撮る――これはもう、映画ファンならずとも興味関心が抑えきれなくなる出来事と言えるでしょう。

男の仕事ぶりとありふれた日常を淡々と描く

本作『PERFECT DAYS』は、主人公の平山が迎えるなんの変哲もない朝とともに始まります。年季の入った古いアパートに住む彼は、夜明け前、近所の道路で誰かがシャッシャッと小刻みに箒を掃く音でおのずと目を覚まし、身支度を整え、大切に育てている植物に霧を吹きかけ、さあ出勤。カーステレオでお気に入りのカセットテープを流しながらトイレ清掃の仕事へと向かいます。それから1日のうちに渋谷区の個性あふれる公衆トイレをいくつも掛け持ちできれいにして、昼間は神社のベンチでいつもと同じサンドイッチを食べ、仕事が終わると近くの銭湯で気持ち良さそうに疲れを癒やす。それから居酒屋で軽く1杯引っ掛けて、夜は文庫本を読みながらいつの間にかまどろみの中へ。そうやってまた朝がやってくる。この繰り返しです。つまり、これが彼にとっての「完璧な日々」ということなのかもしれません。

平山はとても寡黙な人間です。1日のうちに発する言葉は2つか3つほど。そのため私たち観客の視線は、おのずと彼の表情や身振り手振りに注がれるようになるわけですが、とりわけ印象的なのは労働中の真剣な姿でしょう。決して誰かにやらされているとか、ノルマをこなすという感覚ではなく、一心不乱になってトイレ内を丁寧に掃き、便器を磨き上げ、最後はしっかりと拭き上げる。主人公にとってトイレ清掃が単なる作業や労働を超えた、大切な行為であるように思えるほどです。

その日常を観察しながら気付くことがあります。それは彼が世の中に対して無関心ではないということ。いわゆる世捨て人や人間嫌いとは違い、トイレから望む周囲の風景や人々の営みにいつも優しい視線を投げかけます。おのずと聞こえてくる人々の会話にふっと表情を和らげることもある。困っている人がいたら手を差し伸べる。おそらく彼は、そうやって彼なりのやり方で世の中と関わり、心から楽しんでいるのでしょう。淡々とした描写の連続であっても、心の内側は温もりと好奇心で満ちている。そんな姿を見つめているだけで、こちらの心もなんだか温かくなっていきます。

一瞬一瞬に人生の輝きが詰まっている

観察を続けていると、主人公のさらなるこだわりに気付かされました。どうやら彼は“木漏れ日”をこのうえなく愛しているようなのです。ベンチに腰掛けながら、木々の合間からのぞく陽光に瞳を輝かせ、静かにカメラを向ける。そこには1つとして同じものはありません。あらゆる光の交錯が一瞬という奇跡によって形づくられているのを再確認するかのように、彼はシャッターを押します。

寡黙な主人公は自分の行為やその意味についてほとんど言葉では説明しません。だからこそ彼の日常はまるで一遍の詩のように軽やかに、印象深く、われわれの胸の内側を吹き抜けていきます。こうした生き様をとてもナチュラルに紡ぎ出すところがヴェンダースの名匠たるゆえんでしょうし、それは同時に、演じることを超え、役をしなやかに生きる域にまで達した役所広司の素晴らしさでもあるのだと思います。

とてもささやかであっても、自分の暮らしをしっかりと制御し、目の前の仕事に誠実に取り組み、意志と責任を持って何かを決め、選び取っている主人公の生き方。それに比べると、現代社会はあまりに多くのものや情報が飛び交い、それらに振り回され、自分の手から大きく離れたところで物事や価値観が決定されていることも少なくありません。それが時折、息苦しさや心がまったく追いつかない状況を生んでいるのも事実です。

コロナ禍明けの本格始動に誰もが必死に立ち向かった1年を経て、また新たな1年が始まります。日々の業務や人間関係、さらに視野を広げると世界情勢や経済に至るまで、身の回りは相変わらず不透明なことばかりですが、仕事に行き詰まった時や、何かに息苦しさを感じた時、心のどこかに本作で役所広司が演じた役柄を思い出してみてはいかがでしょうか。たとえ大きなヒントや答えにならなくても、一瞬一瞬をしなやかに大切に生きる、そんな彼の姿がわれわれの心をふっと軽くしてくれるかもしれません。

《作品情報》
『PERFECT DAYS』
2023年 / 日本 / 配給:ビターズ・エンド
監督:ヴィム・ヴェンダース 脚本:ヴィム・ヴェンダース、 高崎卓馬
出演:役所広司、柄本時生、中野有紗、アオイヤマダ、麻生祐未ほか
全国公開中
 
東京・渋谷のトイレ清掃員である平山(役所広司)は、墨田区押上の古いアパートに1人で暮らしている。その日々は極めて規則正しく、同じことの繰り返しの中に身を置いているようにも見える。得てしてルーティーンは孤独を遠ざけるものだが、彼のそれはどこか違っているようだった。そんな平山が送る日々に思いがけない出来事が起き、それは彼の「今」を小さく揺らすことになる。
 
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《著者プロフィール》
牛津 厚信 / Ushizu Atsunobu
 
1977年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在は、映画.com、CINEMORE、EYESCREAMなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。好きな映画は『ショーシャンクの空に』。

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