注目企業インタビュー

サービス
人間関係・人生の悩みをすべて受け止め
相談者を癒やすテディベアセラピスト
Ruby Bear 神戸
代表 西﨑 未知
PROFILE
ラジオでリスナーの悩み相談に答える姿に憧れ、アナウンサーを目指すようになる。大阪芸術大学放送学科アナウンスメントラジオコースを卒業後は、イベントや結婚式の司会として活躍。2000年にブライダルプロデュース業を立ち上げる。その後、2023年に「Ruby Bear 神戸」をオープン。現在は、テディベアを用いた独自のセラピーで、悩みを抱える相談者をサポートしている。
COMPANY DATA
- 住所
- 〒650-0003
兵庫県神戸市中央区山本通2-2-7
グランディア北野山本通り 2C - URL
- https://rubybear.jp/
結婚式やイベントの司会者として活躍

インタビュアー 濱中 治
濱中 独自のテディベアセラピーを展開されている西﨑代表。本日はかわいいテディベアに囲まれながらお話をうかがいます。まずは、代表のこれまでの歩みからお聞かせください。
西﨑 神戸で生まれ育った私は、子どもの頃からラジオでリスナーの悩みに答えるアナウンサーに憧れていました。16歳からアナウンススクールに通い始め、大阪芸術大学放送学科アナウンスメントラジオコースを卒業後はプロダクションに所属し、結婚式やイベントの司会を数多く務めさせていただいたんです。そして、1994年に独立し、2000年にブライダルプロデュース業をスタートさせました。一線を退くまでの30年間で、2000組近いカップルの結婚式の司会・プロデュースをさせていただいたんですよ。
濱中 さまざまな方の人生の節目に立ち会ってこられたのですね。テディベアをコレクションし始めたのはいつ頃からなのでしょうか?
西﨑 テディベアは子どもの頃から好きだったのですが、本格的に集めるようになったのはブライダルサロンをオープンした2000年で、ミレニアム記念の特別な作品に触れたことがきっかけです。同じタイミングで、ミニチュアダックスフントの「ルビー」との生活が始まりました。ルビーは私にとって息子のような存在で、13年2ヶ月という長い間、共に時間を過ごしました。しかしある時、ルビーが急逝してしまったんです。朝、家を出るときは元気だったのに、帰宅すると亡くなっていて・・・。あまりのショックに耐えられず、私は毎日泣きながら暮らすようになりました。ルビーがいた自宅では寝ることができず、会社に泊まり込む生活を続けたんです。
濱中 ルビーは西﨑代表にとってそれほど大切な存在だったのですね。
西﨑 そうなんです。1年ほどは毎日泣き暮らし、泣くのをやめてからも7年ほどは、ルビーを失った悲しみを引きずり続けました。ただ、その悲しみを少しずつ癒やしてくれたのが、このテディベアたちだったんです。私の手元には現在、約300体のテディベアがいるんですよ。ここにはそのうちの約200体が飾ってあります。テディベアセラピーでは、このテディベアたちと共に、相談者様の疲れた心を癒やすお手伝いをいたします。
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