コラム

皆さんは日々どのくらい「人の話を聴くこと」を意識していますか?プライベートでの他愛もないお喋りから、ビジネスにおける説得、交渉、情報収集に至るまで、人間関係の基本はまず「聴くこと」にあるとも言われます。それは単に受け身になって耳を傾け、「うんうん」とうなずけばよいのではなく、大事なのは興味関心のアンテナを張り、敬意を持って相手の言葉を心と体で真摯に受け止める本質ではないでしょうか。今月ご紹介する『来し方 行く末』は、そんな古来からの大切な教えがよみがえってきそうなほど、「聴く」ことの大切さを描いた作品です。
弔辞の代筆業という視点から見えてくるもの
北京で暮らす主人公ウェン・シャン(フー・ゴー)は、弔辞の代筆という変わった仕事で生計を立てている人物です。つまり遺族に代わって、亡くなった方の足跡や人となりを網羅した追悼文をしたためるわけですね。彼には日々新たな依頼が舞い込み、依頼者との打ち合わせでいくつもの要望が出されます。もちろん、ウェンと故人とはまったく見知らぬ間柄なので、執筆にあたっては入念なリサーチが欠かせません。とにかく人の話を聴く。聴き続ける。そうやって初めて少しずつ故人の輪郭が浮かび上がっていきます。
気の遠くなる行程ではありますが、しかし当のウェンはこの仕事を苦には思っていない様子。だからこそ、時には熱心すぎるほど相手の話に聴き入った果てに、これまでとはやや違う真相にたどり着くこともあります。それは故人の近親者にしか理解しようのないわずかな気付きや発見ではあるのですが、追悼文の中に盛り込んだその言葉こそが故人の本質を象徴し、遺族の心に穏やかな響きをもたらすケースも多いのです。
では、なぜウェンはこの仕事を始めたのか?いや、そもそも彼はいったい何者なのか?会話を通じて少しずつ明らかになるのは、彼がどうやら脚本家だという事実です。それも大学院で学んだ末に挫折し、まだ1本も作品を完成できていないらしい。結局、生活が立ち行かなくなり、それで執筆のスキルを使って今の仕事を始めたそうで・・・。
作品にほとばしる静謐な「生」の輝き
本作を鑑賞しながら見えてくるのは、人の感じ方、捉え方はさまざまだという真理です。「故人はどんな方でしたか?」という問いへの答えも十人十色。そこには誤解もあれば、隠れた真実もある。その全体像を自分なりに把握した上で、最終的にどこをどう織り込んで表現するかは、すべてウェンの裁量次第・・・これはどこか、脚本家がキャラクターを考案する過程と似ていませんか?
冒頭から物語が葬儀場で始まるので私たちはつい「死」というイメージに引きずられそうになりますが、実のところ本作は、さまざまな意味で「生」を描いているのかもしれません。彼の弔辞の内容も、きっと故人の在りし日の表情や生き様が丁寧かつ具体的に浮かび上がってくるものなのでしょう。それを成し得るのは、彼がいつも根気強く耳を傾け、人間の真の姿に迫りたいと、静かな情熱を燃やし続けているからに他なりません。言うなれば、彼が手がける弔辞において、故人は皆、誰もが主人公なのです。それは当たり前ではあるけれど、本当に素敵なことだと思いませんか?
聴くことで本質をつかみ、考察し、決断する
かくも人々の生き様と対峙し続けるウェンですが、「聴く」を大事にすべきなのは、私たちも同様です。特に日々、多くの人と接し、製品やサービスを生み出し、提供する方々にとっては、本作で描かれる行程がどこか自分の仕事の生き写しのように思える節があるはず。また、組織で人を束ねる立場にある方ならば、これはなおのこと重要です。聴く。それも漠然とではなく、注意深く。ふと書店で手にした阿川佐和子さんのベストセラー本『聞く力』(文春新書、2012年)にはこういう記述がありました。「大事なポイントは、得てして、ほんの小さな言葉の端に隠れている(中略)そういう謙虚な宝物を見過ごしてはいけません」と。
常に宝物を探しながら、物事や本質の全体像を思い描く。そこに考察を加え、最終的には判断や決断を導き出す――常に誰もがやっている当たり前の習慣ではありますが、当たり前だからこそ多少見えづらくなっていた部分を、この映画はどこか静謐な愛情を込めて改めて照らし出してくれるかのようです。そして『来し方 行く末』の終盤では、これまで送り出す側だった主人公が、沸々と満ちていく想いを胸に、一歩踏み出していく姿が映し出されます。
本作で登場人物の1人が口にする「今はまだ第二幕の終盤」というせりふが象徴するように、現役世代にとってゴールはまだまだ先。これから幕が上がるもっとも重要な第三幕、第四幕に備えるためにも、またしかるべき時に最良の決断を下すことができるためにも、誠心誠意、相手の言葉に耳を傾けていきたいものです。
![]() 2023年 / 中国 / 配給:ミモザフィルムズ 監督・脚本:リウ・ジアイン[劉伽茵] 出演:フー・ゴ―[胡歌]、ウー・レイ[呉磊]、チー・シー[斎溪]ほか 新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、アップリンク吉祥寺ほか全国公開中 ウェン・シャンは大学院まで進学しながら、脚本家として商業デビューがかなわず、不思議な同居人シャオインと暮らしながら、今は葬儀場での〈弔辞の代筆業〉のアルバイトで生計を立てている。丁寧な取材による弔辞は好評だが、中年へと差しかかる年齢の彼は、このままで良いのか自問自答する。やがて、さまざまな境遇の依頼主たちとの交流を通して、ウェンの中で止まっていた時間がゆっくりと進みだす。 ©Beijing Benchmark Pictures Co.,Ltd 《著者プロフィール》 ![]() 1977年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在は、映画.com、CINEMORE、EYESCREAMなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。好きな映画は『ショーシャンクの空に』。 |