注目企業インタビュー

医療・福祉
80年代から活動する地域介護事業の先駆者
人生を振り返った自伝的エッセイも出版
特定非営利活動法人 ホームママ パークピア滋賀
理事長 河田 央子
PROFILE
京都府舞鶴市出身。20歳で銀行員の男性と結婚、京都市にて生活。現在は滋賀県に移り住む。可愛がって頂いた祖母へのご恩返しの気持ちから、1987年介護事業をスタート。家事援助「太陽の丘」から事業を展開し、1999年にはNPO法人ホームママを設立。訪問介護事業「ホームママ介護センター」、認知症対応型グループホーム「介の羽」、サービス付き高齢者向け住宅「パークピア滋賀」などを運営してきた。
COMPANY DATA
パークピア滋賀
- 住所
- 〒525-0071
滋賀県草津市南笠東3-21-60
TEL:077-564-1212
FAX:077-598-0253 - URL
- http://homemama.net/index.html
祖母への恩返しで介護事業を立ち上げる

インタビュアー 濱中 治
濱中 滋賀県草津市でサービス付き高齢者向け住宅「パークピア滋賀」と、訪問介護の「ホームママ介護センター」を運営してこられた河田理事長。草津で介護事業のパイオニアとお聞きしていますが、これまでの半生を振り返っていきましょう。
河田 私が介護事業を立ち上げたのは1987年でした。2000年に介護保険制度が開始されるよりも前のことで、当初は高齢者の方々のお宅にうかがって家事援助を行っていました。この世界に飛び込んだのは、祖母が亡くなったことがきっかけです。私は祖母にとてもかわいがられて育ちましたのに、何の恩返しもできないまま祖母を見送ってしまい、後悔の念から、「それなら少しでもご高齢者の方々のお役に立ちたい」という思いが募り、介護事業を立ち上げることになりました。
濱中 河田理事長にとってご祖母様の存在は非常に大きなものだったのですね。
河田 京都の舞鶴市で生まれ育った私は、20歳のときにお見合いをした夫と結婚し、しばらくして滋賀に移り住みました。結婚を機に祖母とは別々に暮らすようになりましたから、優しくしてくださった祖母に何の恩返しもできなかったんです。家事援助の仕事をする時は、祖母のことを思いながら近所のご高齢者のお宅をまわりました。お掃除をしたり、お食事をつくったりして、利用者様から「ありがとう」と感謝の言葉をかけていただけますと、自分の心も温かくなり、大きなやりがいを感じましたね。
濱中 素敵なお話です。そして、そこからさらに、事業を発展させていかれるわけですね。
河田 はい。1999年にはNPO法人ホームママのご認証を頂き今日に至りました。
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