一歩を踏み出したい人へ。挑戦する経営者の声を届けるメディア

Challenge+(チャレンジプラス)

コラム

シネマでひと息 theater 23
良質な映画は観た人の心を豊かにしてくれるもの。それは日々のリフレッシュや、仕事や人間関係の悩みを解決するヒントにもつながって、思いがけない形で人生を支えてくれるはずです。あなたの貴重な時間を有意義なインプットのひとときにするため、新作から名作まで幅広く知る映画ライターが“とっておきの一本”をご紹介します。

映画の楽しみ方は人それぞれです。思いっきり笑いたい、現実を忘れて楽しみたい方もいらっしゃるでしょうし、逆に泣きたい、感動にどっぷりと浸りたい方も多いはず。私はそこにもう1つ、「主人公がどう逆境を乗り越えたか」という成功体験や経験値に触れて、学び、吸収するという楽しみ方があると思います。多くの場合、スクリーンに映し出される登場人物は想像が及ばないほどの困難にぶつかったり、どん底に陥ったりしながらも、いつしか這い上がり、高らかに飛翔していく。そんな“決して諦めない姿”は、いざ私たちが人生の岐路に立たされた時、ふと心に去来し、勇気をくれたり、決断を後押ししてくれたりすると思うのです。

人生の停滞から抜け出そうともがく

今回ご紹介する『おくびょう鳥が歌うほうへ』は、イギリスでベストセラーとなったエイミー・リプトロットの回想録を映画化した作品です。本作では物語の冒頭から、主人公ロナ(シアーシャ・ローナン)の試練と葛藤が描かれます。ロンドンの大学院で生物学を研究する彼女は、夜のパブやクラブでのアルコール摂取に歯止めが効かず、依存状態に陥ってしまいます。しかも酔うと大暴れして、記憶をなくしてしまうほど事態は深刻です。いつしか恋人との関係にも修復不能なひびが入り、彼女はこれまで大切に築き上げてきたあらゆるものを台無しにしてしまいます。その後、治療プログラムを経て、10年ぶりに実家のあるスコットランドのオークニー諸島へ帰郷。野鳥保護の仕事に就き、雄大な自然に囲まれながら静かな回復の時を過ごすのですが、そこでも過去のトラウマやアルコールの誘惑が彼女を苦しめます。そのたびに絶望が心を覆い、「もうだめだ、前には進めない。自分は本当にどうしようもない人間だ」と考えてしまう。

しかし本作の見どころはまさにここからです。落ちるところまで落ちて、自分のどん底を見た彼女にとって、残された道は1つだけ。後はもう浮上するのみです。依然として依存症再発のリスクや誘惑はあるものの、自分の不完全さや弱さを身に染みて理解しているからこそ、その現実から逃げず、しなやかに問題と向き合い、日々を踏み締めていこうとします。そういったロナの心理状況に、彼女がやがてたどり着くパパ・ウェストレイ島の雄大な大自然が神々しいほど見事に重なり合い、同調していく。余計なことは考えない。考えすぎない。ただただ大地や吹き荒れる風、波の呼吸に身を委ねて、世界とつながる。地球と一体化する。そして、彼女が絶滅から救おうとしているウズラクイナの歌声にじっと耳を澄ませる・・・。

こういった描写に触れているうちに、本作が単に依存症を克服するだけでなく、現代社会を生きるうえで重要とされる「レジリエンス」についての映画であることに気付かされました。一度は著しく損なってしまった自分を再び受け止め、肯定し、自信を回復させて歩み出すにはどうすべきか。その大切な過程を描いた、いわば長い旅路のような一作と言えるのかもしれません。きっと人生は、すべての旅立ちの準備が整った時にこそ、より深みと奥行きを増して輝きだすのでしょう。

注目女優の初セルフ・プロデュース作

主演のシアーシャ・ローナンといえば、13歳の頃に出演した『つぐない』(2007)でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされ、その後も『ブルックリン』(2015)、『レディ・バード』(2017)、『ストーリー・オブ・マイ・ライフ / わたしの若草物語』(2019)など話題作ぞろい。真っ青な瞳の輝きと透明感あふれる演技で、現実に向き合いながら果敢に前へ進み続けるヒロイン像を演じてきました。9歳で子役としてデビューした彼女の芸能活動は現在すでに20年を超えますが、そんなローナンが、現在の夫でもあるジャック・ロウデンと共に人生で初めてプロデューサーとして参加したのが本作です。20代から30代へ移り変わる大事な時期にこの作品を選んだのも、きっとこの役に対して大いなる共感を抱くとともに、今だからこそ挑戦しうる運命的な何かを感じたからに違いありません。

自らを客観的に見つめ、本質を掘り下げ、なおかつプロジェクト全体にも気を配る。そんな姿勢は、あらゆる業界の製品開発やサービス構築にも通じる“プロデュース”の本質と言えます。ローナンは演技のみならず脚本や演出についても積極的に意見やアイデアを出し、スタッフと共に原作にとらわれることのない自由な解釈でロナのキャラクターをつくり上げていったそうです。主人公の名前が原作者のエイミーではなく“ロナ”に改められているのも、ロナが原作者の単なる模倣ではなく、独自のキャラクターとして存在していることを示しています。そして、彼女が迎えるラストシーン。ロナの全身、細胞の一つひとつが大自然に祝福されているかのような、圧倒的な瞬間が訪れます。生命の躍動と魂の回復――その輝きがスクリーンいっぱいに満ちあふれ、見る者の心を大いに震わせることでしょう。

《作品情報》
『おくびょう鳥が歌うほうへ』
監督:ノラ・フィングシャイト
出演:シアーシャ・ローナン、パーパ・エッシードゥ、サスキア・リーヴス、スティーヴン・ディレイン
提供:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント 配給:東映ビデオ
2024年/イギリス・ドイツ/原題:THE OUTRUN/シネマスコープ
118分/映倫区分:G
2026年1月9日(金)より新宿ピカデリーほか全国順次公開
 
ロンドンの大学院で生物学を学んでいた29歳のロナは、10年ぶりにスコットランド・オークニー諸島へと帰郷する。かつて自分を見失い、お酒に逃げる日々を送っていた彼女は、リハビリプログラムを経てようやくその習慣から抜け出した。大自然の中で、心を新たに生きるロナ。だが、数々のトラブルを引き起こした記憶の断片が彼女を悩ませ続ける。
 
© 2024 The Outrun Film Ltd., WeydemannBros. Film GmbH, British Broadcasting Corporation and StudioCanal Film GmbH. All Rights Reserved.
 
 
《著者プロフィール》
牛津 厚信 / Ushizu Atsunobu
 
1977年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在は、映画.com、CINEMORE、EYESCREAMなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。好きな映画は『ショーシャンクの空に』。

 << シネマでひと息 theater 22