コラム

コロナ禍以降、日本におけるお酒の嗜み方は大きく変わりました。お酒は今や誰かに強制されることなく、好きなタイミングで、好きなメンバーと自由に楽しむもの。もちろん、飲めない人はノンアルでOKだし、逆に飲める人は「1杯目はビールで」なんて考えにとらわれず、よりディープに自分の“好き”を極めていっていいはずです。
その意味で、今回ご紹介する『風のマジム』は、まずはお酒好きな方にとって強く興味を引かれる作品かもしれません。何しろ、主人公の伊波まじむ(伊藤沙莉)は、仕事帰りに行きつけのバーで一杯やるのが習慣づいているほどお酒が大好き。そんな矢先、これまで口にしたことのなかったラム酒、それも特別な製法でつくられた中南米産のアグリコールラムとの出合いが彼女の運命を変えます。ご存じのようにラム酒の原料はサトウキビ。ひと口飲んでその豊潤な香りと味わいの虜になった彼女は、地元・沖縄で育てられたサトウキビを100%使用したラム酒がまだ存在しないことを知ります。ぜひ純沖縄産のラム酒を味わってみたい。もし誰もやらないのなら、自分の手でつくり出したい。そんな思いを徐々に募らせ、同時期に知った社内のベンチャーコンクールに、まじむは契約社員という立場ながら応募してみるのですが――。
真心で切り開く、実話を基にした新規事業の物語
本作には実在のモデルがいます。原作者の原田マハさんは、かつてご自身が取材したその方の生き方や人間性に魅了され、「もし小説家になったらあなたの話を書かせてください」と了承を得たうえで、数年後、本当にその構想を実らせたのだとか。ちなみに原田さん、お酒はまったく嗜まれないそうです。つまりこの物語は、お酒が好きな人のみならず、そうでない人にも颯爽とした風を吹き込ませ魅了する、穏やかな力を持った作品と言えるでしょう。
さらに今回の映画化ではもう1つの大きな魅力が加わりました。それはNHK連続テレビ小説「虎に翼」の佐田寅子役で国民的女優として知られる存在となった伊藤沙莉さんが主演していることに他なりません。彼女にとって今回のまじむ役も「時代を切り開く人」ではあるのですが、しかし印象は寅子と異なります。まじむは決して強靭な意志や突出した才能に恵まれた人物ではありません。会社では目立たず、どちらかというと“普通の人”といったイメージが強いくらい。ただ恐らく、初めてラム酒をひと口飲んだ時、彼女の中では「おいしい!」を遥かに超え、自分でもビックリするほどの風が吹いたのでしょう。その勢いや衝動に抗うことなく、まじむ=真心という名前どおり、あらゆる人に対して胸の内側をオープンにしながら、気持ちいいくらいに真っ直ぐ、夢に向かって突き進んでいきます。これほどの等身大の役柄を素直に演じられるのは、今の俳優界を見渡しても伊藤さんくらいしかいないのではないでしょうか。
あらゆる隔たりを埋め、皆を輝かせるリーダーシップ
思い返すと、物語の序盤ではそこかしこに深い隔たりがありました。正社員と契約社員、男女の性差、はたまた、まじむたちの会社がある沖縄本島と蒸留所建設の話が持ち上がる離島との間にも、さまざまな思惑の違いがある。しかし、主人公が体現する“真心”は実に不思議です。触れるごとに、多くの人の心を動かし、自分もできる範囲でこの事業に参加し、応援したいという気持ちにさせてくれる。その意味でも、本作で輝くのは決して彼女だけではありません。いわばそれぞれの場所で、真心を持って動く主人公たちが無数に生まれ、奔走していきます。ここにはまじむが持つ、皆を等しく突き動かすリーダーシップの形があるのかもしれません。そうやって皆が同じ方向を見つめ進み続ける結果、いつしか隔たりはすっかり薄まっていくのです。
加えて、本作には魅力的な女性たちがバトンをつなぐように思いを広げていく豊かな流れがあります。蒸留所建設に反対し現状維持を訴える島民たちに対し、勇気をふり絞って変化の必要性を訴える志保さんの言葉には体を電流のように貫く力強さがありますし、嫌味な同僚社員かと思いきや気付くと1番のよき理解者となってくれる冨美枝さんだっている。そして誰よりも、まじむの内には伝統的な手づくり製法の豆腐屋を営む“おばあ”の教えや、家族を支える母の温かい眼差しが受け継がれています。「人様の口に入るものをつくるのは、そんな簡単なことではない」。かくなる身の引き締まる箴言(しんげん)や、腰を曲げつつ早朝から働き続けるおばあの懸命な姿が染み込んでいるからこそ、まじむはまったく別の世界で契約社員として働きながらも、いつしか深いところで同じ理念を共有する食品業界へと足を踏み入れていくのかもしれません。
そして今一度思いを馳せたいのは「風」です。南国ならではの強い風が人の思いを運び、落ち込んだ気持ちをかき立て、しっかりと後押ししてくれるかのよう。自分は日々、風を感じているだろうか。まじむのように真心で生きているだろうか。そう問い直す人もきっと少なくないはず。本作は立場や状況に関係なく、誰しもを初心に立ち帰らせてくれる、心地よくも芯のある映画なのです。
![]() 2025年 / 日本 / 配給:コギトワークス、S・D・P 監督:芳賀薫 原作:『風のマジム』原田マハ(講談社文庫) 出演:伊藤沙莉、染谷将太、尚玄、シシド・カフカほか 9月12日(金)より、新宿ピカデリー他にて、全国公開 <9月5日(金)より、沖縄先行公開> 那覇で祖母と母と暮らし、通信会社「琉球アイコム」の契約社員として働く伊波まじむは、ある日なじみのバーでラム酒と出合い、そのおいしさに魅了される。南大東島のサトウキビを使った「純沖縄産のラム酒」をつくる企画を思いついたまじむは、社内ベンチャーコンクールに応募。「純沖縄産のラム酒をみんなで飲みたい」という彼女の真っすぐな思いは、やがて同僚、家族、南大東島の島民など多くの人々を巻き込んでいく。 ©2025 映画「風のマジム」 ©原田マハ/講談社 《著者プロフィール》 ![]() 1977年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在は、映画.com、CINEMORE、EYESCREAMなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。好きな映画は『ショーシャンクの空に』。 |