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コラム

シネマでひと息 theater 20
良質な映画は観た人の心を豊かにしてくれるもの。それは日々のリフレッシュや、仕事や人間関係の悩みを解決するヒントにもつながって、思いがけない形で人生を支えてくれるはずです。あなたの貴重な時間を有意義なインプットのひとときにするため、新作から名作まで幅広く知る映画ライターが“とっておきの一本”をご紹介します。

ストップモーション・アニメと聞いて、皆さんはどの作品を思い浮かべますか?例えばイギリス生まれの「ウォレスとグルミット」シリーズは90年代以降、TVや映画で親しまれる定番ですし、ティム・バートンが原案・製作を手がけた『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(93)もハロウィンの風物詩としておなじみですね。要は、物や人形を1コマずつ動かしながら撮影し、それを連続再生することによって、まるで命が宿ったかのような映像を生み出すわけですが、ユニークかつ、かわいらしい視覚効果に見惚れるあまり、私は鑑賞中、制作スタッフの存在をすっかり忘れてしまうこともしばしばです。まるで畑に種をまき水をやるかのように、1コマ1コマを精魂込めてつくり上げる。やがてそれらが宝石にも似た輝きを放ち始めたとき、人はその瞬間を「魔法」と呼ぶのでしょう。

ヘンテコだけどかわいらしい手づくり世界

今回ご紹介するオーストラリア映画『かたつむりのメモワール』は2024年、世界中でいくつもの映画賞を獲得した秀作です。製作期間8年、小道具7000個、総カット数13万5000・・・目がくらむような数字ですよね。そんな本作はお子さんよりもむしろ、さまざまな経験を積んだ大人の方々にこそ味わっていただきたい一作です。というのも、物語に登場するのは複雑な内面を抱えたキャラクターたちばかりだから。特に主人公のグレースは、幼い頃から言い知れぬ孤独や悲しみを抱えて成長し、大人になった今も希望や願望とは無縁の生活を送っています。趣味は「かたつむり」を集めること。かなりヘンテコです。ちょっとクセがあり、やや切実さを伴ったダークなユーモアに、観ている方はいささか面食らってしまうかもしれません。

でも私たちの戸惑いはほんの1、2分で陶酔へと変わります。これほど風変わりなのに、どういうわけか温もりと優しさがあふれてくる。変わり者のグレースの心の機微がどんどん伝わってくる。気づくと、彼女の悲しみや苦しみ、ほんのさりげない思い、笑い、喜びに、深く感情を重ねてしまう自分がいました。本当に不思議な感覚です。この感覚を生み出すことができるのは、アダム・エリオット監督の熟練の表現力や慈しみ深い人柄による、絶妙なさじ加減のたまものなのでしょう。

本作には人の心を捉えるキャッチーさもあります。特に興味深いのは、タイトルにもある「かたつむり」をうまく機能させているところ。いわば「かたつむり」は、人が何かしら悩みや恐れを感じた際に自分の殻に閉じこもったり、立ち止まったり、また少しだけ進んだりする象徴です。また、物語の中でグレースは、いつしか背負いすぎて身動きの取れなくなった状態から外へ這い出してみようとも考えます。これは人が新たに踏み締める“一歩”を大切に描いた一作でもあるのです。

デコボコした個性から魅力が生まれる

アダム・エリオット監督のこだわりとしてもう1つご紹介したい点があります。それは粘土の持つ不ぞろいさを、あえて魅力として取り入れているところです。今の世の中、完璧に整っていて画一的であることが正しい美学のように思われがちですが、決してそうではありません。もちろん手を抜く、中途半端でいい、という意味ではまったくなく、まずは自分たちの特性と向き合い、しっかり見極め、真の意味でのオリジナリティとは何かを考える。そこから唯一無二の価値や魅力が芽を出していきます。

加えて本作には、監督が患ってきた「手がけいれんする」という症状すらポジティブに捉えて、個性や魅力として作品づくりに大いに取り入れようとする思考のきらめきがあります。私にとってまさに目から鱗の発想。結果的にこの映画は、スタッフの手のひらから生まれた多少デコボコした造形こそがキャラクターの大切な一挙手一投足を成し、活写された1コマ1コマがシームレスに合わさることで、あらゆる差異を超越した豊かな一連の映像となって観客の心に届けられるのです。

思えば、私たちは誰もが各々の“殻”を背負って生きています。その表面に刻まれた模様や、殻のサイズは1つたりとも同じではありません。そして物語の終盤、グレースにとって心の師匠ともいうべき、いくつになっても元気いっぱいのおばあさん・ピンキーは、こんな印象的な言葉を残します。「かたつむりは跡を残しながら前に進み続ける」と――。

日々の生活でふと、自分を形づくる人生、仕事、暮らしといったさまざまな要素について振り返った時、皆さんの背後には一体どんな跡が浮かび上がるでしょうか。きっと喜びに満ちた成功体験だけではないはずです。年齢を重ね経験を積めば積むほど、悔しさやつまずきの記憶や思い出が苦くこみ上げてくる方も多いはず。でもそれらは決して“後退”ではないのだと、かたつむりの前向きな生き方が、私たちにそう教えてくれているように思うのです。

少しずつ、ゆっくりでもいい。時には立ち止まってもいい。すべてを糧にしながら歩んだその先にいかなる風景が待っているのか。人生は冒険です。『かたつむりのメモワール』はグレースの姿を通して、私たち一人ひとりの「輝かしい冒険」を祝福し、応援してくれる映画なのかもしれません。

《作品情報》
『かたつむりのメモワール』
2024年 / オーストラリア / 配給:トランスフォーマー
監督・脚本:アダム・エリオット
声の出演:サラ・スヌーク、ジャッキー・ウィーバー、コディ・スミット=マクフィーほか
TOHOシネマズ シャンテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開中 
1970年代のオーストラリア。病弱な少女グレースは、双子の弟ギルバートと愛情深くひょうきんな父親の3人で共に暮らしていたが、父の急死をきっかけに2人は離れ離れに。孤独の中、グレースはカタツムリ集めに没頭するようになる。そんなある時、ピンキーという陽気で変なことばかり言うおばあさんと出会い、2人はいつしかかけがえのない友だちになっていく・・・。
 
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《著者プロフィール》
牛津 厚信 / Ushizu Atsunobu
 
1977年、長崎県生まれ。明治大学政治経済学部を卒業後、映画専門放送局への勤務を経て、映画ライターに転身。現在は、映画.com、CINEMORE、EYESCREAMなどでレビューやコラムの執筆に携わるほか、劇場パンフレットへの寄稿や映画人へのインタビューなども手がける。好きな映画は『ショーシャンクの空に』。

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